7月9日(日)
イエスはご自身の血を捧げられた
He Has Presented His Blood

「キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現れてくださるのです。」(へブル9:24)

ヨハネによる福音書20章11-18節には、復活された主がいちばん最初に現れた日の話が記されています。イエスが十字架につけられ、葬られた後、マグダラのマリアは3日目に、イエスの体に油を塗るために香料をもって墓に向かいました。しかし、墓に着くと、石が墓からわきに転がっているのを見ました。それを見て驚いたマリアはあわてて、イエスの弟子であるペテロとヨハネに、何者かがイエスの体を持ち去ったことを告げました。

聖書は11節によると、ペテロとヨハネが去った後、マリアは墓の前で泣いていた、と記しています。しかし、帰ろうとすると、そこには見覚えのない人が立っていました(その方こそイエスでした)。彼は、なぜ泣いているのかと尋ねると、彼女は再び誰かが主の体を持ち去ったのだと説明しました。

その時、主は彼女を「マリア」と名指しで呼んだので、彼女はそれがイエスご自身であることに気づきました。マリアは大喜びで、イエスを抱きしめようとしましたが、イエスは「さわってはいけない」と指示し、その理由を告げられました。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」(ヨハネ20:17)。

これは、イエスがガリラヤで弟子たちと会う前に、そして、イエスを触れることができる前に、イエスは私たちの大祭司として父のみもとに昇り、イエスご自身の血を献げられたのです。旧約聖書の祭司たちは、1年ごとに贖いのために毎年犠牲を捧げなければならなかったのに対し、イエスはそれを一度だけ行い、全人類のために永遠の贖いを成し遂げられました。

ですから、イエスの犠牲は、天に献げようとして行われたイエスご自身の血によるものでした。ヘブル9章12節にあるように、イエスの血は受け入れられました。「また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」

マタイの記述によると、イエスがガリラヤに来られたとき、弟子たちに最初に言われたのは「おはよう(all hail、万歳)」でした(マタイ28:9)。つまりこう意味なのです。「完了した!ついに起きたのです!わたしは自分の血を捧げて、人類のために永遠の贖いを得たのです。」神をほめたたえます!

告白
祝福された主イエスよ、私たちの罪を背負い、主の血によって、永遠に洗い流してくださったことを感謝します! イエスは、人間が招いた、解決のできない罪に対するすべての対価を払ってくだったのです。今、私は洗われ、聖別され、そして義とされたのです。私は罪と死と破滅から解放されました。主イエスの御名を永遠に賛美し、礼拝します!

参照聖書
(へブル9:11-14)しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離させ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

(ヨハネ3:16)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

(コロサイ1:12-14)また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。