7月10日(月)
信仰により喜んで与える
Give Joyfully In Faith

「…ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(2コリント9:6-7)

創世記22章のアブラハムの物語は、冒頭の聖句にあるパウロの言葉を、よりよく理解するのに役立ちます。アブラハムとサラは何年も子供を待ち望んでいましたが、やがて老齢になってイサクを産みました。しかしある日、神はアブラハムに、彼の唯一の息子イサクをいけにえとして捧げるよう求めました。(創世記22:2)

アブラハムが、その指示を受けて失望したと言ういくつかの宗教書や映画があります。そのような人たちは、アブラハムがしぶしぶ、恨めしそうに、悲しそうに、そして悔しそうにイサクを捧げたと映るのです。そうではありません。アブラハムは信仰を持ってそれを行ったのです。
 
思い出してください。聖書は、アブラハムを信仰の父と呼んでいます。彼は信仰の人であって、神がイサクを死からよみがえらせることができるという信仰を示し、そのことは、確かにその通りになったのです。「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。… 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。」(ヘブル11:17-19)

アブラハムは完全に主を信頼し、快くイサクを捧げました。ソドムに対する差し迫った裁きの中で、主が次のように熟考されたのも不思議ではありません。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」 (創世記18:17-18)

神は、アブラハムをご自分の計画から外すことはなく、アブラハムなしには行動されなかったのです。それはまさに、2コリント9章7節 (AMPC)で、御言葉が語っている通りです。「神は喜んで[いそいそと]与える人[寄付することを心から大切に考えている者]を愛してくださいます。(彼を喜び、他の色々の事に勝って大事にし、捨て去ることを喜ばれない)」

私たちはアブラハムの子孫です。アブラハムと同じように、私たちも信仰を持って与えるのです。快く、喜んで、「すぐに実行」できるように捧げるのです。私たちは心から与えるし、福音を広めるために注ぎ込むのに、多すぎるものはありません。分け与える者の結果は、つまり神の国での偉大さ、つながり、影響力がますます高まる人生となるのです。ハレルヤ!

告白
私は、福音の伝道のために喜んで与えます。その結果、主は私の義の実を増やし、すべての恵みを私に与え、すべてのことに十分に満ち足りるようにしてくださるのです。私を通して、福音は私の世界とその先の地域に広がり、多くの命が触れられ、変えられ、神の賛美と栄光がもたらされます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(使徒20:35)このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。

(マタイ19:21)イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

(ルカ6:38)与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」