The Cares Of This Life

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」(ルカ21:34)

イエスが、マルコ4章で語った種まく者の例え話は、神の言葉が人々の生活の中で十分に実らない理由を示しています。これらの人々は、この世の心配に圧倒されています。「もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです。――みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。」(マルコ4:18-19)

神の言葉と一致する実を結ばないクリスチャンがある理由は、いばらの間に御言葉を受け取って、この世の心配に悩まされているからです。ここでの「いばら」とは、「世の心づかい、富の惑わし、あらゆる欲望」を指します。これらのことは、人々の生活の中で神の言葉を窒息させ、実を結ばないようにし、その結果、多くの人々がキリストの中にある可能性を殺してしまうのです。

1ヨハネ2:15は、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」今日の御言葉は言います。「 あなたがたの心が、…その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい」神は、あなたが地上の物事でなく、神と神の永遠の御言葉、また天に置かれていることを愛し関心があるように願っておられます。(コロサイ3:2)。神は、あなたの心を守って、いつも御言葉が深く根付き、望みの結果を生むために、肥沃(ひよく)な地にして欲しいと願っておられます。

箴言23:26では、「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。」と言われています。神はあなたが人生の無駄な事を追いかけるのではなく、むしろ言葉を黙想し、あなたの人生が向上するように願っておられます。そうすれば、実り豊かで生産的な生活を送ることができます。「幸いなことよ。…主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩編1:1-3)

祈り
祝福なる御父よ、私の心はあなたに固定され、御父に奉仕し、愛し、義の実を結びます。世界の何も私を満足させないが、私の父を知っている父のために生きる喜びだけが私を満足させます!私は御父に注目し、父の知恵を知ってその中で歩み、私の人生に向けられた父の御心と目的を果たします。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書
マルコ4:14-20