2024年4月22日(月)
勝利の行動
An Act Of Victory

「ついにモーセは疲れ果て、アロンとフルはモーセが座るための岩を用意した。そして二人は彼の横に立ち、日が暮れるまで同じ姿勢で彼の腕を支えた。こうしてヨシュアはアマレク人を倒した。」(出エジプト記17:12-13CEV)

前回の学びで言及したように、主に向かって手を上げることは、主への捧げものであり、一部の人々が考えているような単なる宗教的な日課ではありません。それは奉仕なのです。例えば、出エジプト記17章8節から13節には、イスラエルの民のアマレク人との戦いが記されています。

アマレク人はレフィディムでイスラエルを攻撃しました。モーセはヨシュアに、アマレクと戦う者を選ぶように指示し、モーセは神の杖を手に持ち、丘の頂上に向かいました。戦いが進むにつれて、モーセが手を上げるとイスラエル人が優勢になりましたが、手を下げるとアマレク人が優勢になりました。

モーセと一緒にいたアロンとフルは、モーセが手を上げるたびにイスラエルが優勢になり、手を下げるたびに相手が優勢になることに気づきました。モーセはその影響に気づかず、アロンとフルから、手の上げ下げが戦いの結果を左右することを知らされました。

その重要性を認識したアロンとフルは、モーセが座るための石を用意し、モーセの両手を左右に持ち上げるのを手伝いました。そうすることで、イスラエルはアマレクに勝利しました。それは何を意味するのでしょうか?手の高さではなく、それは手を上げることでした。

モーセは座らなければなりませんでした。モーセが座ると、高さが低くなったことを思いだしてください。つまり、手の高さではなく、モーセの手が持ち上がったという事実が重要だったのです。日が暮れるまで手を下さない行為で、ヨシュアはアマレク軍を圧倒しました。

手を上げることには何かがあるのです。継続的な勝利と征服を証ししたいと願うなら、常に両手を上げて主を賛美してください。困難に直面したら、こう宣言してください。「父よ、私はこれらの問題や暗闇の力、私に逆らう者たちに対して、主の前に手を上げます。」この行為には、敵対する勢力を麻痺させる力があるのです!神を褒めたたえます!

祈り
愛する父よ、私は今日、あなたの栄光と威厳と恵みを祝福し、敬愛するために、聖さのうちに両手を父に上げます。父が私の人生の栄光であり、私が立つ堅固な岩であることを知りながら、私は今日、父を喜びます。私は賛美し手を上げ、父だけが神であり、偉大なすべての王であり、父の恵みに感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(詩編63:4)それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。

(詩編141:2)私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。

(詩編134:1-2)さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ。聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。