4月10日(日)
雲のように取り巻いている証人たち
Cloud Of Witnesses

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(へブル12:1)

聖書に示されている「雲」の象徴的な意味を知り、理解することは重要です。聖書は時々人間を木に例えるように、彼らを雲に例えます。たとえばイザヤ61章3節を見ると、人間と木が持っている共通点を示されています。ここで私たちは義の木であり、主に栄光を帰すために植えられた木と呼ばれているのです。

また、他の例えとして、聖書には「その人は、水路のそばに植わった木のようだ…」とあります(詩篇1:3)。そのことについて考えてみると、私たちは、同じように「雲」とも呼ばれているのです。イエスが十字架で死んで地獄に下ったとき、イエスは主を待っていた旧約聖徒たちをよみから連れ出してくださいました。彼らはイエスが復活した後、墓から出てきて、そのうちの何人かが聖なる都で多くの人々に実際に現れました。使徒1章9節には「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた」と書かれています。

ルカは聖霊のインスピレーションによって「…イエスは雲に包まれて、見えなくなられた」と書いていることに注目してください。ここで、ルカが言っているのは、大気中に浮かぶ水蒸気のかたわりについて言ったのではありません。彼は、ヘブル12章に言及した内容を指しているのです。「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブル12:1)。

この信仰生活における証人の多い雲(群れ)は、ヘブル11章で語った人たちです。彼らは、信仰を通して、神の御国のために偉大な成果を残した人たちです(ヘブル11:32-33)。これらの信仰の証人は、その時代の王国を征服し、超自然的なことを行い、その世界を支配したのです。つまり、彼らは義を貫き、他の人々が間違いに従ったとき、彼らは真理のために立ち上がり、勝利したのです。私たちは、このような人々を「 信仰の殿堂入り」と呼ぶことがあります。確かに、彼らは雲のような証人たちであり、それぞれ自身の栄光を持っているのです。ハレルヤ!

告白
私は主によって植えられた義の木なのです。私は、主の義を表わし、あらゆる場所に、あらゆる人に主の救いを伝える雲なのです。ハレルヤ!

参考聖書
(ヘブル11:32-33)これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、

(ヘブル12:1 NIV)こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。