The Lamb Of God

「さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た...。」(黙示録5:6)

私たちが天国に着くと、私たちは御父と御子と聖霊が異なる御座に座っていることを見ることはないでしょう。私たちは神で満ちあふれた御座に座っておられる一人のお方を見つけるだけでしょう、その方がイエスです(黙示録7:17)。イエスは神性が外に現れたお方なのです。

コロサイ2:9には、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」とあります。しかし、誰かが今日の箇所を見て、「イエス様が御座に座っておられるなら、御座の中央に立っている小羊は誰ですか。」と質問するかもしれません。

黙示録を学ぶとき、預言的な幻や啓示は、しばしば象徴で与えられ、伝えられていることを理解しなければなりません。黙示録の著者ヨハネも例外ではありませんでした。今日の箇所の小羊は象徴的でした。

使徒ヨハネは、人を見たとは言わず、イエス・キリストを象徴する小羊を見たといいました。小羊は父とイエスとの関係を象徴するもので、それはイエスの態度と謙虚さの特徴を表しています。私たちはピリピ2:5-9で彼の謙虚さについてもっと学ぶことができます。「...神の御姿であられる方なのに、[神の属性を十分に持たれ]神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、[もっと]自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、[そのお方がもっとご自分を低くなさったので]神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」(AMPC)

同様に、そのお方の謙虚さと従順さを強調した預言者イザヤの言葉を思い出してください。「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(イザヤ53:7)

イエスは世のはじめから、全人類の罪のためにほふられた小羊です(黙示13:8)。 洗礼ヨハネはヨハネ1:29で、そのお方を神の小羊と呼び、ペテロも第一ペテロ1:19で同じことを言っています。今、神は私たちを天の領域でイエスと共に御座に座らせました。私たちはイエス(エペソ2:6)と共に座っており、私たちを通して、キリストの恵みの豊かさ、栄光、力を現されています。イエスの御名を永遠にほめたたえます!

祈り
愛する父よ、なんの解決策もなかった人間の為に、主イエスが最終的に罪の対価を払ってくださったことに心から感謝します。今、私たちのために犠牲となった神の子羊、イエス・キリストによって、私は自由にされ、キリストにあって支配し、勝利の人生を送ることができ、天の領域で主と共に座らせ、力、権威、統治の位置に主と共に座っています。ハレルヤ!

参照聖書
(ヨハネ1:29)その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

(ヨハネ1:36)イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。