2022年6月19日(日)
携挙はデマではありません
The Rapture Isn’t A Hoax

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。」(へブル10:37)

ある人々は、教会の携挙はデマ(偽りの噂)だと信じています。彼らの主張は「携挙」という言葉は聖書のどこにも出てこないし、イエスでさえ、それについて話したことはない、と言うのです。イエスがあまり話さなかった主題はたくさんあります。例えば、イエスが地上で務められた数年間、弟子たちはイエスと一緒にいましたが、彼らは異邦人が救いを受けることについて何も知りませんでした。イエスがいろいろと教えてくださったのに、異邦人が救われることを明確に理解できなかったのです。

しかし、イエスは彼らに言われました。「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます…」(ヨハネ16:12-13)。イエスは異邦人の救いについて明確に語らなかったように、携挙についても人々が聞きたがるようなことはおっしゃらなかったのです。

実際、ペテロがローマの百人隊長コルネリオの家に行ったとき、そのことを聞いた他の弟子たちはペテロに怒りました。ペテロは、自分が神の霊を経験したことや、彼(ペテロ)がまだ話している間に、どのように異邦人に聖霊が臨んだことなど、彼らに説明しなければならなかったのです。

すると、ヤコブは聖書を開き、預言者たちが異邦人に救いが与えられると言っている箇所を見つけました。これは使徒パウロに、キリストの体の奥義と啓示が与えられるまでは、彼らの最初の手がかりとなったのです。

携挙についても同じことが言えます。あなたはどんな箇所でも「携挙」という言葉を見つけることができないかもしれません。 聖書を書いた当時、パウロはそれを奥義と表現しました。「 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです」(第一コリント15:51)。第一テサロニケ4章17節では、私たちは「引き上げられる」と書いてあります。ギリシャ語では「ハルパゾ(harpazo)」と言い、「捕らえる。連れ去る」という意味なのです。ラテン語では「ひったくる(raptura)」と訳され、英語では「携挙(rapture)」です。ですから、この携挙が聖書に書かれていないという主張は誤りです。

誰もあなたを欺くことがないようにしなさい。携挙はいつでもすぐに行われるでしょう。これまでよりも近づいているのです。あまりにも早く起こるので、準備をしていない人、期待にしていない人には、準備する時間がなく、取り残されてしまうでしょう。それがあなたであってはいけないのです。「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」(へブル9:28)

祈り
愛する父よ、主の御言葉から私に深い洞察力を示してくださる栄光に感謝します。主の霊によって、携挙の実際の事と、それがどれほど近づいているかを私に知らせてくださったことに感謝します。私はすぐに起こる主の再臨を待ち望みながら、他の人々にも携挙の準備をさせるように奉仕しています。アーメン。

参照聖書
(第二ペテロ3:3-4)まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

(第一コリント15:51-52)聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

(第一テサロニケ4:15-18) 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。