2022年6月20日(月)
私たちは主の遣わされた者である
We’re His Sent Ones

「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」 (第二コリント5:19)

すべてのクリスチャンは、和解の務めに召されています。つまり、私たちが魂を勝ち取る者として召されているという意味です。そして、和解の務めを果たすにあたって、私たちは一人ではありません。主は伴うしるしで私たちと共に働き、御言葉を確証しておられます。

私たちは、イエスが肉を持って現れた神であることを世界に示す証人なのです。神は私たちを全世界に送り、神が人々の罪を数えていないことを彼らに知らせるのです。今日、地球上には、自分の罪のために苦しんでいる人、地獄に落ちる人は一人もいません。なぜでしょうか。イエスはすでに、すべての人のために罪に対する罰を完全に払われたからです。

代価を払ったからといって、罪を犯しても構わないということでしょうか。絶対に違います!しかし、私たちが神の観点から見て、正しく考えることが重要です。

イエスが地獄に行かれたことをご存知ですか? 私たちの罪が主の上に置かれたので、主は私たちの代わりに地獄に行かれました。誰も苦難を受ける必要がないように、主が苦難を受けられました。誰かが罪に定められ、地獄に行くなら、その唯一の理由は、その人がイエス・キリストの中にある救いについて知らなかったか、または拒否したからです。彼らのために支払われたもの、つまりイエスの血の犠牲を受け入れなかったので、彼らは審判を受けるでしょう。これが地獄と火の池に行かれる理由なのです。

しかし、誰かが滅びて地獄に落ちることは、神の御心ではありません。だから、イエスがどんな方で、人々のために何をしてくださったかを伝えるために、私たちを遣わされたのです。私たちが彼らに寄り添って福音を伝えることによってのみ、彼らは永遠の命について知り、信じ、受け取ることができるのです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」 (ローマ10:13-15)。私たちは、主の遣わされた者なのです。イエスはヨハネ20章21節で言われました、「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」ハレルヤ!私たちは愛と救いと義のメッセージを伝えるのです。

告白
今日も、私を通して、神の光は明るく輝き、人々を暗やみから光に、そしてサタンの力から神に解放されるのです。私は、人々がキリスト・イエスにある命と義と祝福された希望を受け入れるように、福音を伝えることに専念します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第二テモテ4:1-2)神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

(マルコ16:15-16)それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

(第二ペテロ3:9)主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。