2月21日(火)
形式や儀式を超越した真の礼拝
Real Worship—Beyond Form Or Ritual

「主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。」(歴代誌上29:11)
 

ある人々は、礼拝が何であるかを理解していないので、その祝福と有益を逃しています。礼拝とは、神の慈愛、祝福、親切さ、義を認めて感謝することです。神のご性質に対する感謝と認識であり、それゆえ、神のご性質を告白することなのです。ですから、真の賛美とは礼拝なのです。

例えば、神に感謝して「主よ、あなたは良い方です、あなたは親切です、あなたは私を祝福しました、あなたは正しい方です」と言う時、あなたは神の性質を定義し、認め、感謝し、高めることになります。神はそのことを高く評価されるのです。それはあなたの人生において主が誰であるかを示し、神を他のすべての人と、あるいはすべてのことから分離し聖別することになるからです。

神のいつくしみ、供給、祝福、そしてあなたの人生で神がなさったすべての素晴らしいことに感謝するとき、あなたは「ああ、主よ、これらのことをなさったのは主であることを知っています」と言っているのです。あなたは、それらの美しい御業を言葉で神に帰しているのです。すると伴う結果は、神があなたのためにもっと多くのことを行われ、もっと大きな方法であなたに御自身を現されることになるのです。

礼拝は常に、神へのより大きな啓示をもたらします。それで、私たちは人や天使、他の被造物ではなく、神だけを礼拝する理由です。礼拝がいかに重要であるか、それはあなたにとって、形式や儀式を超えたものでなければなりません。礼拝は、神がどのようなお方であるかを真に認識し、認めて、真実な出会う時間でなければならないのです。

祈り
愛する父よ、私は両手を上げて礼拝し、私の霊から賛美と感謝のいけにえをささげます。私は主を愛しています。主だけが真の神であり、永遠なる栄光の王であり、唯一の知恵ある真実の神で、恵み深く親切で、聖く正しく、常に愛し、赦すお方です。キリスト・イエスにおける新しい契約の祝福を感謝します。ハレルヤ!

参照聖書
(黙示録21:22) 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。

(詩編96:9-10)聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。国々の中で言え。「主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。

(ヨハネ4:24)神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。