7月25日(火)
代償を計算せよ
Count The Cost

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒の働き20:24)

ルカは、使徒の働き20章17-27節で、パウロとその仲間が、どのようにトロアスを出発してミレトスに航海し、そこでエペソの長老たちに心からの別れを告げたことを伝えています。そこでパウロは長老たちに、自分の逆境、苦難、試練の中で涙を流しながら、自分がいかに謙遜を尽くして、主に仕えたかを思い起こさせました。

パウロは23節でこう言っています。「…ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりと強くあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、これらの事は一切私を揺るがすことはありません。私のいのちは少しも惜しいとは思いません…」(使徒20:23-24 AMPC)。この偉大な使徒は、福音のために自分の命を少しも惜しまなかったことについて、言葉を濁すことなく語っています。なんと印象的なことでしょう!何という献身でしょうか!

使徒パウロや他の使徒たちが書いた言葉を読むとき、私たちにメッセージを伝えるために、彼らがどんな犠牲を払ったか考えたことがあるでしょうか。教会の歴史を勉強すると、多く人々が福音のために殺されたことがわかります。

ステパノについて読んでください。ステパノがユダヤ人の回心させることに成功すると、議会の怒りがあり、結局彼は石打ちの刑に処されました! ある者は斬首され、十字架につけられ、火で焼かれ、ある者はふっとうした油の釜に投げ込まれました。したがって、あなたはこの御言葉があなたに届くまでの代償を考えなければなりません。

特に、この終わりの日々には、福音のために人生を賭ける覚悟と意志を持ってください。福音のためにあきらめること、捧げること、譲れること、耐えることなどは、あなたにとって何一つ無理なことではないはずです。福音のためにどんな犠牲を払おうとも、いざとなったら命を捧げる覚悟と意志を持ちましょう。

あなたの人生はどれほど大切なものでしょうか? 単に自分の名前、自分自身、または、あなたが持っているお金を守ることで、主のためにもっと多くのものを捧げることはできないでしょうか? それらがあなたの人生のすべてですか? あなたは、自分の命も含めて、福音のために捧げることができないものはないと、人生のある時点で、絶対に確信するべきです。イエスは、マルコの福音書8章35節で、こう言われました。「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」

祈り
愛する父よ、私は、福音宣教について意志を固く持ち、弁解はしません。私は必要であれば、死に至るまで、絶対的な確信を持って、大胆に福音を宣べ伝えていきます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(2コリント1:8-9)兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危なくなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

(1コリント9:16-17)というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。