人を非難してはいけません
Don’t Condemn Others

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)

あなたの人生では、他人の過ちを見つけるのに早すぎないでください。非難したいという衝動に負けないでください。聖書によると、主イエスは「…生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方である。」(使徒10:42)とあります。主イエスだけが真の裁き主であり、憐れみ深いお方です。

あなたの周りには、おそらく地元の教会でさえ、正しい生き方をしていない人がいるかもしれません。しかし彼らを裁かないでください。その人たちを裁くのではなく、その人たちを勝ち取る光となってください。今日の御言葉で、イエスが言われたことです。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

人々があなたの周りで正しく生きていない理由の一つは、あなたの光が十分に明るく輝いていないことかもしれません。クリスチャンが他の信徒の生き方を非難するとき、その人は自分が霊的であると思っているかもしれませんが、実はそれが肉欲の表現なのです。間違いをしたからといって、誰かを否定しないでください。イエスもその人の過ちの代価を払ってくださいました。また、私たちのすべての過ちの責任を負ってくださいました。イエスだけが人を裁く権利を持っておられます。それでも、主は私たちを非難することはありません。

聖書には、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者(肉によらず、御霊に従って歩む者)が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)と書かれています。肉に従っている人は、他の人の悪いところばかりを見ます。その人たちは実際に間違いを犯していて、今も犯しているかもしれません。しかし、彼らの心(霊)は神に対して正しいので、自ら間違いに気づき、すぐに悔い改めるなら、正されるでしょう。

その良い例がダビデです。彼は間違ったことをしましたが、心から悔い改め、主の赦しを求めて受け取りました(サムエル記下12:1-13を参考)。しかし、サウルの場合はそうではありませんでした。サウルは自分の過ちに対して叱ったとき、身を守ったので、神は彼に怒りを出しました(サムエル上15章を参考)。

地元の教会では、「完全な」人のためではなく、「完全でいる」人のためにあるのです。ありのままの姿で来るならば、神の言葉があなたを清め、あなたを完全にするのです。エペソ4:11-12に記されている5つの賜物は、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を建て上げるためにあるものです。

教会では、人々が誤ったことを認識しても、イエスのようにその人を裁くことはありません。だからこそ、私たちは神の御言葉を分かち合うのです(第二テモテ3:16-17参考)。神の言葉には、どんな人でも回復する力があり、その人の歩みを方向転換させる力があります。ですから、福音を分かち合い、人を非難しないでください。

告白
神の愛は、聖霊によって私の心に注がれています。その聖霊によって、私は周りの人たちと愛に満ちた親切さ、思いやり、恵みをもって関わることができます。私は人々の中に最高のものを見出し、聖霊によって、キリストの恵みと栄光で、人々に影響を与えることができます。私の光はとても明るく輝き、私の中に、そして私を通して表現された神の義に人々を引き寄せます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(マタイ7:1-2 TLB)さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

(エペソ2:4-5)しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――

(ルカ6:37)さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。