御言葉で自分自身を映し出す
Mirroring Yourself In The Word

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 (第二コリント3:18)

今日の御言葉に出てくる「 鏡 」という言葉は、ギリシャ語で「カトプトリゾマイ(katoptrizomai)」といい、自分自身を映し出すことを意味しています。新改訳聖書では、「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿にかえられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」と書かれています。これは、神の鏡、つまり神の御言葉についての話です。

御言葉を学び、黙想するとき、あなたは自分自身を鏡に映しているのです!鏡の中に見えるのは、神の栄光です。黙想によって、御言葉はあなたの霊に根付き、あなたの霊と一体となり、あなたの心に神の栄光の似姿を描き出します。

例えば、あなたは汚い罪人だと思っていたかもしれませんが、神の鏡を見て、自分はキリスト・イエスにある神の義であり、無罪と宣言されたことが確認できました。神に祝福がありますように!このことは、あなたの認識を完全に変え、すぐに義を意識を持つようになり、今後、義に基づいて歩むようにしてくれるのです。

もしかしたら、あなたは人生で何の役にも立たない、貧しくて、惨めな人だと言われたかもしれません。しかし、神の鏡である御言葉はそうではないことを示しています。あなたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしい御業を、あなたが宣べ伝えるために選ばれたのです(第一ペテロ2:9)。これは、あなたが受け入れ、支持しなければならないあなたの人格に関する真実です。ハレルヤ!

また、何日間か、寝ている間にサタンの圧迫を受け、「解放」が必要だと思っていたのかもしれません。しかし、鏡を見ると、「…神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました」(コロサイ1:12-13)と書いてあります。すぐに、この真理があなたの霊をつかみ、サタンや暗闇の力に対して支配し始めるべきです。

あなたが御言葉を黙想することで、あなたの霊の中に多くの事が起こります。あなたはあなたが見たその通りの姿に変えられていきます。御言葉によって映し出された自分の姿、イメージを持ち続けてください。それは、どんな状況にあっても、あなたが肯定し続けなければならない現実です。

告白
私はキリストにあって完全であり、神の栄光です。私はキリストによってすべてのことを行うことができ、私を責めるために作られた武器はどれも役に立たなくなります。私は永遠に勝利を収めており、決して不利になることはありません。ですから、私は御言葉に視線を固定し、御言葉が映し出す私のイメージと反射だけを受け入れます。神に祝福がありますように!

参照聖書
(ローマ12:2)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

(ヤコブ1:23-25)みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。