従順さの力
The Power Of Obedience

「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」 (ピリピ2:8)

神には神の構造やシステムがあり、原理原則に基づいて動かされています。しかし、常に自分の道を選ぶ人がいます。聖書には、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」と書かれています(箴言14:12)。神に耳を傾け、神の方法に従うことは、あなたのためになります。決して不従順な歩みをしてはいけません。

例えば、アダムが不従順になった結果、聖書には「ひとりによって死が支配(君臨:英語の訳)するようになった」と書かれています(ローマ5:17CEV)。同じ御言葉を詳訳聖書(Amplified Classic)では、このように表現されています。「…ひとりの人の違反(間違い、違反)により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば….」 つまり、ひとりの人の不従順がすべての人を罪とすることにつながったように、キリストの義の行いもまた、すべての人に永遠の命と神の無罪判決につながったのです。二番目で最後のアダムであるイエスは、従順によってこれらを行ってくださいました。

また、今日の御言葉には、「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」とあります。イエスは神ご自身でありながら、父なる神に反抗することなく従順されたことを思い起こして下さい。イエスは十字架の死に至るまで、死に従順であろうとしました。神は、イエスの従順さに応えなければなりませんでした。「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(ピリピ2:9)。イエスは、その従順のために与えられる最高の称号を与えられたのです。神に栄光がありますように!

従順さは、霊の領域での大きな祝福です。新しく生まれたあなたは、従順な霊を持っています。聖書は私たちを従順な子どもと呼んでいます(第一ペテロ1:14)。ですから、神の言葉の光に照らして歩き、霊的な指示に完全にゆだねられるのは当然のことです。

祈り
愛する御父よ、私の人生は主に捧げられています。私に対する主の愛と、私の人生における主の栄光に感謝します。今日もこれからも、心からの献身で主に仕え、主の御言葉を守り、私の人生に対する主の目的を果たし、義の働きを生み出すことで、主に栄光を帰すために生きていきます。

参照聖書
(第一ペテロ1:13-14) ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。14 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、

(ピリピ2:5-10)あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、