Keep Growing In The Knowledge Of Christ

「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。」(第二ペテロ3:18)

第一ペテロ2:2で、ペテロは特定の都市のあるユダヤ人キリスト教の巡礼者に宛てて、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」と言っています。ここでの「乳飲み子」という言葉は、ギリシャ語で「ブレフォス(brephos)」で、幼児、子供のことを指しています。ペテロは、自分の心をキリストに捧げたばかりの初期の教会や幼いクリスチャンたちに向けて手紙を書いていたのです。

そして、第一コリント3章には、もう一つのクリスチャンのグループが記されています。使徒パウロは、彼らを、「キリストにある幼子」と呼び、「さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。」(第一コリント3:1)と言いました。

この場合の「幼子」という言葉は、ギリシャ語の 「ネピオス(nēpios )」であり、正しく話すことができない人という意味です。これらの人は20歳であっても、正しく話すことができないのです。年齢にもかかわらず、未熟だし、訓練を受けておらず、考え方がまとまっていません。これを霊的にみると、クリスチャンになって何年も経つにもかかわらず、まだ正しく育てていない霊的な幼子を言っているのです。そのような人は、霊的な話を把握することも、霊的な真理を伝えることもできません。パウロはそのような人たちを非難して言いました。「私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです」(第一コリント3:2)。「乳」とは、神の御言葉の基本原理、つまりキリストの初歩的な教義のことです。

霊的に未熟な人は、自分を祝福してくださいと神に祈り、叫びます。しかし、もしその人が霊的に成熟していたなら、彼は、神がすでにキリスト・イエスにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださったことを知っていたはずです(エペソ1:3)。霊的に未熟な人は、キリストにあって生まれ変わった日に、キリスト・イエスにあって、神のすべての祝福を受け継ぐ者となったにも、キリストの奥義を理解するまでには成長していないのです。

神のことについて成長してください。より多くの知識、より多くの理解を求めて押し進みましょう。主をもっと知りたい、主の栄光を自分の人生に現してもらいたいという尽きない願いを持って、御言葉を学び続けてください。

告白
私たちの神は偉大であり、大いに賛美されるべき存在です。主の素晴らしさには終わりがありません。主の御言葉を学び続けると、主の栄光が私の人生に現され、常に新しくされ、知識がますます増えて主の姿に変えられていきます。神が祝福されますように!

参照聖書
(エペソ5:27), ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

(2ペテロ 1:3), というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。

(箴言 11:9) 神を敬わない者はその口によって隣人を滅ぼそうとするが、正しい者は知識によって彼らを救おうとする。