2023年8月8日(火)
キリスト― 御父の前での私達の正しい立場
Christ—Our Right-standing Before The Father

「しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(1コリント1:30)

私はしばしば、神の御言葉の中で最大の主題は「義」であると述べてきました。義とは、神の本質であり、神のご性質と神の御業を定義するものです。神の義とは、常に正しいことを行われる神の本質です。

新しく生まれる人間の霊に与えられた神の性質と属性は、その人に正しい立場を与えます。正しい立場とは、罪悪感、恐れ、劣等感、または罪に定められることなく神の御前に立つ権利や能力のことです。今、あなたは交わりの中で主と語り合い、主に質問することができるのです。あなたは主の臨在の中で大胆なのです。

これは、私たちが誰であり、キリストにあって何を持っているのかに対する結果の一部です。私たちは冒頭の聖句で、キリストが私たちの義、すなわち神の前での正しい立場となってくださったことを読みました。ハレルヤ!なんという祝福でしょう! 神の偉大さ、栄光、力強さに対して、あなたは神を恐れたり、神の前で罪に定められたり劣等感を抱いたりすることはないのです。むしろ、神の御前では、あなたは聖なる者であり、傷もなく、非難されるところのない者です(コロサイ1:22)。永遠に主の御名に栄光をささげます!

告白
私は神の溢れる恵みと値なしにお与える義の賜物を受け、御父との正しい関係に置かれました。私は、キリストによって、命のうちに王として治めます。神に栄光をささげます!

参照聖書
(ローマ3:23-28)23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。25 神は、イエス・キリストを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。26 それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。28 人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

(ローマ4:5-8) 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」