2024年1月15日(月)
イエスは死を滅ぼされた
He Abolished Death

「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。」(2テモテ1:10)

数年前、この聖句が目についた時に、一瞬、私は内容を理解していませんでした。「パウロは本当にイエス・キリストが死を滅ぼされたと言ったのか?」私はこの聖句を徹底的に研究し、ギリシャ語の原文に目を通し、使われているすべての単語を分析しました。その結果、この聖句はまさにその通りの意味で、イエス・キリストは死を滅ぼされたことがわかりました。

一部の人々はこれについてパウロが霊的な死を語ったと理解しようとします。全く違います!今日の聖句で見たように、イエス・キリストは死を滅ぼされただけでなく、命と不滅を明らかに示されたのです。

この死が霊的な死であるとすれば、不滅とはどういう意味でしょうか? 聖書は霊的の不滅を意味したのでしょうか?その表現は意味をなしません。むしろ矛盾しています。したがって、パウロが不滅について言及したのは、パウロが肉体の死について語ったからです。

しかし、聖書の1コリント15章26節にある「最後の敵である死も滅ぼされます。」という言葉に悩まされる人もいます。彼らは「私たちにはまだ死を扱わなければなりません。死は滅ぼされる最後の敵です。」 と言うのです。いいえ、聖書が言っているのはそうではありません。それを説明しましょう。

それは、ヨハネ黙示録の中で、「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。『今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。」(黙示録12:10)と述べているのと同じです。その声が「今や、私たちの神の救い」が現われたと言うのは、すべての人が初めて救いを受けたという意味ではありません。人々はそれ以前から救われていたのです。

したがって、聖書が「死は滅ぼされる最後の敵である」と言っているのは、火の池に投げ込まれる霊としての死について言っているのです。「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である」(黙示録20:14)。それが、死が滅ぼされる時なのです。しかし、私たちはすでに死を克服されています。死の法則は廃止されているのです。主は天から無駄に来られたのではありません。主は無意味に死んだのでもありません。主は死を滅ぼされるために来られ、それを成し遂げられたのです!神をほめたたえます!

告白
愛する父よ、死と地獄と墓について打ち勝ったことを感謝します。福音によって私たちを命と不滅の世界へと導いてくださったことを感謝します。私はキリスト・イエスの命を与える御霊によって生まれました。ですから、私は命を与える霊であり、イエス・キリストにある命の御霊の法則によって生きています。アーメン。

参照聖書
(1コリント15:51-57)聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

(黙示録20:14)それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。