6月4日(日)
聖餐を理解したうえで受ける
Take The Communion With Understanding
「私たちが祝福する杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。」(1コリント10:16)
6月4日(日)
聖餐を理解したうえで受ける
Take The Communion With Understanding
「私たちが祝福する杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。」(1コリント10:16)
6月3日(土)
イエスの死を証する
Testify Of His Death
「…ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」(1コリント11:23-26)
6月2日(金)
私たちは神の聖所である
We’re His Holy Sanctuary
「地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神であられる神の御前で震えました。」 (詩篇 68:8)
6月1日(木)
福音へのあなたの啓示
Your Revelation Of The Gospel
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」 (ローマ 1:16)
イエス・キリストを信じたとき、あなたはクリスチャンとなり、キリスト教を理解し、実践するようになりました。あなたの人生は、キリスト教に対するあなたの考えや認識を日々反映するようになりました。意識的にせよ、無意識的にせよ、あなたは自分の理解する福音を反映するようになったのです。
あなたは「私の福音?」と思うかもしれません。 そうです! 私たち一人ひとりは「福音 」を持っているのです。あなたの福音とは、キリストが誰であり、何をなさるために来られたのか、つまり、キリストに対するあなたの理解なのです。あなたは、福音に関するあなたの啓示以上の生き方はできません。あなたが、イエスについて信じているものは何でも、あなたの話し方、思考プロセス、人生観に影響を与えるのです。いわば、「福音のフィルター」を通して、あなたはすべてを見ることになるのです。
だからこそ、キリストの福音について正確な知識を持つことが大切なのです。あなたは福音をどのように理解していますか? キリストについてどう考えていますか? キリストは誰であり、あなたはキリストについて何を信じているでしょうか?
私が幼い頃に自分のためにしたことの一つは、「イエスについて本当は何を信じているのか?」という自問することでした。私は、イエスについて本当に信じていることが何であるかを知るために、神の言葉を用いて、自分の心を探り始め、その答えをノートに書いたのです。
クリスチャンとしてあなた自身のために、注意を向けなければならないことがあります。なぜなら、あなたが持っているものしか人に与えることができるからです。人に福音を説いても、「あなた自身」に福音を説いたことがありますか? あなたは福音について個人的な確信を持っていますか?
パウロは「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)と言っています。あなたは、福音についてそのような結論に達していますか?
もしあなたが本当に福音を信じ、理解しているならば、あなたは熱意と緊急性をもって福音を宣べ伝えることでしょう。あなたの地域、都市、国、そしてすべての人の世界に福音が浸透するために、あなたは何も惜しまないようになるでしょう。キリストへの確信があなたを突き動かすのです。
祈り
愛する父よ。使徒たちが宣べ伝えたのと同じメッセージを、世界に伝えるという特権を与えてくださったことを感謝します。私は福音に対するより明確な理解を持っており、福音が人の救うための唯一の希望であり、力であると確信しています。私は今日大胆に福音を宣べ伝え、主の御名に賛美と栄光をささげています。アーメン。
参照聖書
(第一コリント1:17)キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなくしならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
(第一コリント9:16)というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。
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5月31日(水)
御言葉によって育つ
Pastor Chris Being Raised By The Word
「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。」(第一ヨハネ2:6)