6月5日(月)
愛のメッセージで始める
Begin With The Message Of Love

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

福音を説くとき、あるクリスチャンはおもに罪のテーマに焦点を当て、人々が自分の罪を悔い改める必要性を強調します。ユダヤ人は律法の下にあったので、悔い改めのメッセージはユダヤ人にとって適切でした。律法が彼らに求められていたのは、罪を犯したとき、悪から目を背け、神に立ちかえることでした。

しかし、ユダヤ人でない異邦人は、律法の下にいなかったので、彼らは向き直る対象はなく、それ自体が彼らの罪に定められていました。聖書はこう言っています。「というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。」(ローマ5:13)

しかし、聖書には「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:23)と書かれています。これには、ユダヤ人も異邦人も含まれます。異邦人が律法を破らなかったのは、律法が与えられていなかったからだとしたら、彼らの罪は一体どこにあるのでしょうか?

創世記を読むと、神がアダムとエバを創造したとき、彼らは聖なる神の臨在の中にいたことがわかります。彼らは神の栄光の中に生きていたのです。しかし、アダムが神に罪を犯したとき、彼らはその栄光から切り離されたのです。

ローマ人への手紙5章19節には「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」とあります。一人の人の違反によって、すべての人は栄光を受けられませんでしたが、今、キリストにあって、その栄光は回復されました。「…あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:27) ハレルヤ!

これが、福音へのアプローチは、罪の問題から始めるのではなく、むしろ愛のメッセージから始めるべきなのです。それが鍵です。今日の御言葉で、イエスがそう言われています。愛こそがイエスの動機なのです。

今日の御言葉によると、イエスが罪について何も語っていないことに注目してください。それがキリストの福音です。それは愛のメッセージであり、神の命と性質を示すメッセージなのです。キリストの死と埋葬、復活によって可能となり、信じるすべての人が受けるようになりました。

祈り
愛する父よ、世界中の人々が、イエス・キリストの真の福音を聞き、受けた結果としての義の賜物を受け取ると、主の愛が表わされ、明らかにされ、受け取られることを感謝します。今日、人々は主の揺るぎない永遠の愛、恵みの栄光を経験するのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ3:16AMPC)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の[いつまでも続く]いのちを持つためである。

(第二コリント5:21)神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。