2月5日(日)
賛美の幕屋
The Tabernacle Of Praise

「今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。」 (詩編27:6)

ダビデの時代には、二つの幕屋がありました。一つはギブオンにあり、もう一つはエルサレムにありました。歴代誌上16章には、その両方について書かれています。ギブオンの幕屋はモーセの幕屋で、いけにえを捧げる場所でした。「祭司ツァドクと彼の兄弟である祭司たちを、ギブオンの高き所にある主の住まいの前におらせ、全焼のいけにえを、朝ごと、夕ごとに、絶えず、また、すべて主のイスラエルに命じた律法に書かれているとおりに、全焼のいけにえの壇上で、主にささげさせた。」(歴代誌上16:39-40)。

ダビデの幕屋であるエルサレムの幕屋には、ダビデが神の箱の前で仕えるために任命したレビ人の歌い手たちがいました。「それから、レビ人の中のある者たちを、主の箱の前に仕えさせ、イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした」(歴代誌上16:4)。レビ人は昼も夜も箱の前で仕え、主への賛美を歌うことになっていたのです。

ギブオンでは雄牛と山羊のいけにえをささげていましたが、エルサレムでは、主に絶えず賛美と感謝のいけにえをささげていました。ダビデは言いました。「 私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。」(詩篇69:30-31)

新約聖書の中で、ヤコブが異邦人に対する神の計画について教会の長老たちと議論しているときに、ある預言を引用しています。「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする」(使徒15:16)。主は「モーセの幕屋を建て直す」とは言っていないことに注目してください。神は「賛美の絶えないダビデの幕屋を立て直す」と言われました。

これは私たちが、今日の教会で持つべきものを教えてくれています。それは「聖所内での終わらない賛美」なのです! その賛美は、私たちが決して破壊されることのない生ける幕屋を築くように、より高く、より輝かしい人生と主の働きの場へと私たちを導いてくれるのです。

祈り
父なる神よ、私はいつでも主の御名を祝福し、主への賛美を絶えず私の口にします。私は主の偉大さを全地に宣言し、主の驚く御業をすべての世代に知らせます。私の人生におけるあなたの栄光に感謝します。主は正しく、聖く、恵み深く、親切で、純粋な方です。主の御国は永遠であり、主は義をもって国々を支配します。主よ、主の御名が永遠にほめたたえられますように。アーメン 

参照聖書
(歴代誌上16:39-40)祭司ツァドクと彼の兄弟である祭司たちを、ギブオンの高き所にある主の住まいの前におらせ、 全焼のいけにえを、朝ごと、夕ごとに、絶えず、また、すべて主のイスラエルに命じた律法に書かれているとおりに、全焼のいけにえの壇上で、主にささげさせた。

(詩編150:1―6)ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。