He Doesn’t Rest Upon You

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおう(rest upon you)ために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(2コリント12:9)

新しい契約の時代から見ると、「神の御霊があなたの上におおうように(rest upon you)」という表現は、聖書的に正しいとはいえません。今日の本文を読んで、パウロでさえも、キリストの力が「自分をおおうように」願っていたと誤解する人がいるかもしれません。それは違います。

パウロは、自分を覆っているキリストの力について話したのではありません。「おおう(rest)」と翻訳された、ギリシャ語は「エピスケノオepiskēnoō」で、「重ねておく(superimposition)」を意味する「エピepi」と、「住まい(habitation)」を意味する「スケノオskēnoō」という、二つの単語の複合語であります。したがって、「エピスケノオEpiskēnoō」とは、「うちから、何かを担い完了する」という意味です。パウロは続けて聖霊に満たされた自分の経験を他の言葉で表現していたのです。

1ペテロ4章14節に、別の「おおう(rest upon)」という言葉が使われています。「もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまって(rest upon)くださるからです…」 ここでの「とどまって(rest upon)」とは、「アナパウオanapauō」という言葉が使われていますが、これは、リフレッシュし、休憩をとるという意味で、眠っている状態の意味ではありません。文脈から見て研究すると、イエスのためにあなたが迫害される場合、栄光の霊である神の御霊が、あなたにリフレッシュさせ、休憩を与え、あなたは幸せであるという意味を知るようになるでしょう。ギリシャ語で記録された聖書には、聖霊の力があなたにとどまるとか、おおうとかの表現もなく、そのように翻訳さえもできません。

上記の詳細な説明の本質は、新約には、私たちの上にとどまるために来られる聖霊に関する話はないということです。聖書全体を通じ強調しているのは、聖霊が私たちの中に住んでいるため、私たちは聖霊に満たされているということです。これは初代教会のスタンダード(標準)でしたが、今日でも私たちのスタンダードです。

聖書の使徒6:5と4:31では、「…信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ…を選んで、」、「こう彼らが祈りおわると、(たちまち)集まっていた所が揺れ、だれもかれも聖霊に満たされて…」と言っています。引き続き聖霊に満たされること、これが今日の教会および私たちに向かう神の御心であります。 

告白
御父よ、完全なる栄光と畏敬の聖霊、私の心に住まわれて感謝いたします。私は神を運ぶ器です。永遠の真実の運び屋であり、神の臨在を伝わっている者として、私はすべてのことができ、私の世界に肯定的な変化をもたらします。ハレルヤ!

参照聖書
(ヨハネ14:17) その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

(コロサイ2:9-10) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

(使徒4:31) 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。