Your Heart And Your Mouth

「…だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」(マルコ11:23)

今日の本文で、イエスの言葉の文脈を研究すると、主は弟子たちに、祈りではなく信仰について教えていることに気付きます。前の22節を見ると、イエスは弟子たちに、「神を信じなさい」と言われました。ギリシャ語の原文の意味は、「神の信仰を持ちなさい」つまり、神のような信仰を持ちなさいという意味で記されています。神と同じレベルの信仰が、どのように働いているのかを明らかに説明しながら、イエスは二つの重要な要素、すなわち「あなたの口」と「あなたの心」を強調しました。

イエスは、「だれでも…言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります(Whosoever shall say…and shall not doubt in his heart…shall have whatsoever he saith.)」と言われたことを、もう一度注目しましょう。イエスは信仰の重要な原則を私たちに示しています。すなわち、あなたの心と口は必ず一貫する必要があるということです。ローマ10章10節は、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」と言います。あなたの心で信じていることを口で断言するまで、それは働かないでしょう。 

信仰は信じ、話すことです。私たちは信じて、それゆえに語ります(2コリント4:13)。 私たちは、まず心から私たちが望むものが存在するということを信じて、それに応じて語るのです。私たちは信じるために語るのではありません。私たちは信じていることを語るのです。

あなたについて主が話したことが真実であると信じるなら、悪魔と環境、そしてあなたの心が何を言っているかにかかわらず、あなたは主の言葉を大胆に宣言しなければなりません。なぜなら、あなたが霊の中に知識を持っているからです。それらのものが実際であると肯定するのは、それを具体化させ、物理的な領域に明らかに示されます!
 
このような理由で、私たちは、神の言葉を告白するように強調します。心で信じることは非常に重要な信仰の最初の一歩ですが、信じるだけでは十分ではありません。信じることは、期待と確信、子供のような信頼で、神の言葉を受け入れることです。すなわち、神ができると言われたことは、可能であり、神がすでに完了したと言われたものは、完了されたと認識することです。 私たちは心で信じ、それに従って口で告白します。ハレルヤ!

祈り
愛する天の御父よ、私の心に入った父の言葉は、私の霊に光と理解と能力を与えられました。私は御言葉を喜び、私の心に望みが与えています。私はキリストの中で、より高い生活を送っていて、私には不可能はありません。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ローマ10:6-10) しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

(へブル13:5-6) 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」