Jesus—The Complete Embodiment Of Deity!

「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」(コロサイ人への手紙 1章15節16節)

 何と素晴らしく、鼓舞してくれることばでしょう!キリスト・イエスは、見えない神のかたちです。その「形状」という言葉は、ギリシャ語「エイコン(eikon)」で、英語の単語「アイコンicon」が、ここから翻訳されています。パソコンや携帯機器等を考えてください。あなたは、システム内のアプリケーションを見るのではなく、すばやくかつ簡単に理解できる象徴的なアイコンを見ます。その故に、あなたはアイコンをクリックして、コンピュータシステムやモバイル機器を簡単に扱うことができます。

 コロサイ人への手紙1章15節で、イエスは、「見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」と述べています。これは、イエスは目に見えない神の外的な表現という意味です。つまり、イエスを見たのなら、あなたは神を見たのです。ヨハネの福音書14章8−9節で、ピリポが「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」としたとき、イエスは「…わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。」と答えられました。

イエスは、神の完全な現われであり、写しです。イエスは、御父の本質の完全な現われです。父なる神は喜んでイエスを神の御座を含め、全てのものの相続人と任命しました。聖書によると、御父を喜んだのは、満ち満ちた神の本質をイエスのうちに宿らせたからです(コロサイ1:19)。キリストのうちに、神の満ち満ちたご性質が形を取って宿っています(コロサイ2:9)。ですから、例えばイエスを見たのであれば、御父を見たのです。神に栄光をお返します!

 イエスは、ヨハネの福音書10章30節で、「わたしと父とは一つです。」と言われました。ユダヤ人達は、イエスの話を聞いて、彼のことを知らずに、神を冒涜したと言い、イエスを石打にしようとしました。「ユダヤ人たちは、イエスを石打にしようとして、また石を取り上げた。イエスは彼らに答えられた。『わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打にしようとするのですか。ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」』(ヨハネ10:31−33)」ユダヤ人達は、イエスが語られた言葉に何の意味なのかを知っていました。イエスは父とは一つです。イエスは本質の完全な現われであります。

祈り
愛する御父よ、私の霊に移して下さった主の命と義の性質として感謝します。それによって私は、御父の栄光の輝きであり、完璧な表現なので、考えや行動して生きる力を受けました。イエスがそうであったように、私も同じです。私は命にあって神のご性質に預かる者です。私は主と一つになったので、同じ性質と、同じ神聖な本質があります。ハレルヤ!

参考聖書
エペソ人への手紙 5章1節  ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

ヨハネの手紙第一 4章17節  このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。