The Bible Is God’s Testimony

「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(Ⅱペテロ1:21)

多くの人は、無知ゆえに、聖書を他の一般的な本と同じように扱います。そのような人たちは、「シェークスピアが、感動を受けて『ジュリアス・シーザー』を書いたのと同様に、聖書も感動を受けた人によって書いただけである」と言います。それは真実ではありません。霊による感動にはいろいろな種類があります。詩人が受ける感動は、御霊による感動とは関係がないのです。詩人は自然を見て感動することがありますが、御霊によって受ける感動は、そのような感動を超越している、神から与えられる聖なる感動なのです。

聖書は、啓示であり、神の息吹を集めた書物です。それは、言葉にされた神の啓示です。もちろん、聖書には歴史や詩や預言などが含まれています。 しかし、それらはすべて、神の御霊と神の視点からのものなのです。あなたは聖書の内に、神が言われたこと、天使、サタン、悪霊、預言者や、人々、そしてさらに、ロバが言った言葉までも発見することができます。しかし、それらは全て、彼らの言葉を通じた神による証言なのです。

ですから、私たちが、聖書は神の御言葉であると言うとき、それは、神の証言であり、真実なのです。なぜなら、聖書は、神の証言が含まれているからです。証言とは、事実に関する供述や断言することであります。法廷における証言とは、事件に対する総合的な証拠であり、目撃者の陳述です。

キリスト教では、聖書は、神ご自身について、また神の働き、計画、目的と見解を記している書物です。これを信じていない人は、クリスチャンではありません。

聖書は、すべて神の霊感によるものであると聖書に記されています(Ⅱテモテ3:16)。 御霊の選んだ言葉を、敬虔な人が書き表したのです。そして御霊は、神の御言葉を敬虔な人の内に吹き込んだだけでなく、それらを記すように彼らを動かしたのです。ですから、聖書は信頼できると言えるのです。その内容は、ただの宗教の本ではなく、神の証言だからです。

祈り
尊き主よ、御言葉を通してあなたの人格、意思、目的とご性質が明らかにされていることを感謝します。あなたの御言葉は私の人生の道を照らし、私を導いてくれます。御言葉によって建て上げられ、元気が与えられ、いつも勝利と成功の人生を歩めます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖書
テモテへの手紙 第二 3:16
ヨハネの福音書 17:17
エペソ人への手紙 1:17