Focus On His Spirituality

「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」(2コリント5:16)

ある人々が「イエスのようになりたい」と言うとき、彼らはガリラヤとカペナウムの街を歩いた「ユダヤ人」イエスを意味して言っているのです。さらに一部の人々は、イエスの身体の姿、つまり体格、身長、外見などについての議論に熱中し、より重要なイエスの霊に集中していません。あなたはイエスの体より「みことばとしてのイエス」に焦点を合わせるべきです。

イエスの「物理的な」限界は、ユダヤ人ということでした。つまり、ユダヤ人であったのでイエスが取った特定の行動があり、イエスが取らなかった行動がありました。また、イエスがローマ人であったならば、イエスが取った行動もあり、取らなかった行動もあります。例えば、ユダヤ人として、イエスは過ぎ越しを祝いました。しかし、過ぎ越しはユダヤ人以外の人にとっては何の意味もありません。イエスはユダヤ人として持っている制限がありました。従って私たちの焦点は、人として来られた神の御子イエスに向けられるべきです。御言葉を通してイエスを見てください。イエスは生ける御言葉だからです。

使徒パウロもかつてはこのように、キリストを単なる人間であり、普通のユダヤ系に思いました。しかし、パウロはイエスがこの地で人の姿で歩き、ユダヤ人として生きていても、イエスは普通の人ではないことに気付きました。

その後に、パウロはこのように書きました、「…ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」(2 コリント5:16)。これ以降、パウロはイエスに、つまり御言葉に焦点を当て、彼の宣教は大成功を収めました。

ヨハネ1:14は、神の言葉は人となり、その結果が、キリスト・イエスであると告げています。「…ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ですから、イエスを言葉の化身として見て、人間の体である聖展の中にある神の考え、アイデア、意見、意志、感情の全体としてみなされてください。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、…」(ヘブル1:3)というように、神の完全なひな型であり、目に見えない神の現れであるイエスに焦点を当ててください。

ここに奥義があります。イエスは言葉が人となった方のように、私たちも御言葉の子孫です。1ペテロ1:23が言っています、「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」1ヨハネ4:17は、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であると示しています。ガリラヤに歩いた方ではなく、栄光、力、強さ、そして卓越性をもって復活されたイエスのように、今あなたも同様の存在です。あなたはイエスの義、性質が表現された者です。ですから、あなたの肉的、世的な特徴や出生に基づいて自分自身を認識しないでください。御言葉の中で、そして御言葉を通して自分自身を見てください。ハレルヤ!

告白
愛する御父よ、主の言葉に感謝します。私は肉的または世的な特徴や出生に基づいて認められることを拒否します。私は御言葉の中に、御言葉を通して自分自身を見ます。主が栄光、力、強さ、卓越性をもって働くように、私もこの世にあって同じ存在です。私には主の義、命、本質を持って、主の輝きと性質を表わします。ハレルヤ!

参照聖書:
(ヨハネ14:8-10) ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。

(コロサイ1:12-19) また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、

(1ヨハネ4:17) このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。