There’s More To Righteousness

“またある役人が、イエスに質問して言った。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。” (ルカ 18:18-19).

義には、私達が受け取った贈り物以外にもさらに多くのものが込められています。神の義は神の慈しみ、すなわち神の公正に関するものでもあります。本文箇所で、イエスは豊かな若い役人に“神の慈しみ”について説明しようとしておられました。なぜなら慈しみは義(righteousness)と正しさ(rightness)そして正しい判断(right judgment)に関するものだからです。

あなたは何が正しいのかをどのように判断することができますか?あなたはどの道が正しさで、生き方の歩みを、どのように判断することができますか?あなたは是非をどのようにわきまえますか?あなたは何が栄えあるものであり何が恥あるものかをどのように分別しますか?あなたは神のものとそうでないことをどのように判断しますか?あなたは何が敬虔に関するものなのかをどのように定めますか?それがまさに義です!

神の義の中で生きるということはどのような意味でしょうか?例えば、あなたがある問題や状況を判断するには、誰が正しいのか、もしくは誰が間違っているのかを調べるのではなく、神の御言葉の側に立つことです!あなたは片側、すなわち神の義の側にいます。そうするとあなたは人の見解ではなく神の義の観点で、世を見ているのであなたの人生は、美しいとなります。

このようにあなたの人生を生きていくことについて考えてみてください。全ての人々はある特定の方法で考えて、見て、人間の観点から評価しますが、あなたは神の目で見ています。それは義の美しさであり力です。あなたが神の義を理解するならば、妬みと怒り、悪意、憤るなどのような底のものを取り除けることができるでしょう。そのような品位を落とす悪しき全てのものは、あなたが人の目で見えず、神の目で見る時、あなたの人生から取り除かれるでしょう。

あなたが意識的にこのように生きる時、あなたの元へと人々を引き寄せる驚くべき力である愛の魅力が、あなたの人生に存在するでしょう。神の義は、人々の心を奪う何かがあります。私達が言ったことを覚えてください。それは神の慈しみに関することであり、あなたが義の中で機能すると、あなたは神の慈しみの標本になります。あなたは神がどれほど良きお方であるのかに対する表現であり描写です。

祈り
主よ、私にくださった義の贈り物によって感謝します。今私は父の義を持っており、それはいつも私を正しくし、父の慈しみと本性、恵み、親切さが私の世界に現れるようにし、私が父の観点で全てのことを見るようにします。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ローマ 1:16-17、ローマ 14:17(TLB)