2022年2月13日(日)
私たちは終わりの時に生きています
We’re In The Last Days
「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(第一コリント15:51-52)
聖書の終わりの時について読むならば、まず文脈からその内容から理解し、次に作者のメッセージを理解する必要があります。聖書でしばしば言及される「終わりの時」とは、千年王国の直前のことです。注意してください。特に、この用語を使った預言者たちは、教会時代を含んでいませんでした。
ですから、私たちが「終わりの時」と言っても、それは預言者が定めたユダヤ暦に関する「終わりの時」のことを言うのではありません。私たちが今どの位置にいて、そして世界における国々の裁きが始まるまであとどれくらいあるのかを知らせるしるしが、たくさんあるのです。ですから、私はあなたが今日どこにいようと、イエスがもうすぐ来られるということを知っていてほしいのです。
そのことを信じて主を待ち望んでいる人たちがいます。一方、主が来られるとは思っていないので、主を待ち望んでいない人々がいます。しかし、「主の現われを慕っている者」(第二テモテ4:8)のために、主は来られるのです。聖書は、主の再臨を待ち望む人々は幸いであると述べています(ルカ12:43)。彼らは、「主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)と言っている人々です。
主を待ち望んで、主を期待している者として、あなたの人生を生きてください。主の地上での昇天から、もうすぐ二千年になることを思い出してください。主の再臨に関する預言者たちの言葉が、すべて私たちの目の前で成就しているのです。最も重要なことは、主ご自身が「… しかり、わたしはすぐに来る…」(黙示録22:20)と言われたことです。
イエスはご自身の教会のために来られます。あなたは主の教会のメンバですか。その日、主の再臨は徐々に起こるのではありません。そのことは、一瞬のうちに、瞬く間に起こるのです。私たちは空中で主に会うために、この世で携挙が起こるのです。無知な状態でいないでください。義にかなったキリストにとどまり、キリストのために生き続けてください。
祈り
愛する父なる神よ、私が主の栄光の再臨を待ち望みの間で、私を義の道に導き、守ってくださる聖霊の祝福と働きを感謝します。私はまだ福音を受け取っていない人たちが、キリストの救いの恵みのメッセージによって心が打たれ救われますように、またこの栄光の福音を受け取ることによって得られる平安と確信を経験できるように祈ります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第二ペテロ3:3-5NLT)まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
(第一テサロニケ4:16-18)主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。