2022年5月20日(金)
私たちは主の臨在の中で生きる
We Live In His Presence
「その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」 (ヨハネ14:17)
キリスト教において、私たちは神の臨在から出たり入ったりしません。神の臨在は私たちの家であり、私たちはその臨在の中で生まれたのです。詩篇87章4節を読むと、預言的な言及があることに気づきます。「わたしはラハブとバビロンをわたしを知っている者の数に入れよう。見よ。ペリシテとツロ、それにクシュもともに。これらをもここで生まれた者として」。「ここで生まれた者」とは新しい被造物を指しています。「ここで」とは、キリストにある私たちの場所、つまり神の臨在の中にある私たちの位置を指しています。
ですから、クリスチャンが「父なる神よ、今日は主のところに行きます」とか「礼拝を通して神の臨在に入りましょう」というのは、話になりません。これから神の臨在に入るというのなら、いったい彼らは今までどこにいたのでしょうか。私はよく疑問に思います。神の子どもたちは、私たちが神の臨在の中に生きていることを必ず理解しなければなりません。
新約聖書には、神の臨在に「入る」ということはありません。私たちは神の中で生き、動き、存在するのです。神の臨在は私たちの中にあり、私たちとともにあるのです。あなたがどこにいても、神の臨在とともに入るのです。あなたが生まれ変わったならば、誰もあなたを神の臨在の中に連れ導くことはできません。あなたは、法的にも実際的にも、神の臨在の中で生まれて、神の臨在の中で生きているからです。
告白
私は聖霊が私の中に住まれる生ける神の神殿です。キリストは私の中にとどまり、私は永遠に聖霊の中にいるのです。私は聖霊の臨在の中に生き、私の世界に影響を与えるために、どこにいても神聖な臨在を持っていくのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(使徒17:28)私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
(第一コリント3:16)あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
(コロサイ1:27)神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。