2022年10月12日(水)
神の家でのあなたの態度
Your Behaviour In The House Of God
「それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」 (第一テモテ3:15)
イエス・キリストの教会は、真理の柱また土台です。教会は単なる信者の組織や機関ではありません。教会は神の家であり、聖書は私たちが神の家でどのように振舞うべきかについて明確に述べています。神の家に期待されている態度があるのです。
教会が神の家であると言うとき、第一に、個人として、あなたの体が神の家であることを意味します。第二には、特定の地域に基づいて集まりの人々を意味します。第三に、私たちが礼拝活動を行う場所や建物も、神の家と呼ばれます。
さて、この三つの言及すべてにおいて、神の家は尊敬を要求し、それに値するものです。主は聖なる方です。主はきよく、義なるお方です。ですから、私たちの生き方、神の「家」での振る舞い、つまり神に仕え、神を礼拝する際の態度は、神の性質を描写しなければなりません。それは御言葉と聖霊の力によるものでなければならないのです。
聖書を学ぶと、主が私たちにすべきことやしてはいけないと言われていることを発見するでしょう。これらは戒めではなく、私たちがどのような人間であり、どのように生きるべきかを示しているのです。例えば、あなたの肉体について、主はこう言われています。「あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい」(ローマ6:13)と言われています。ローマ12章1節では「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」
また、ローマ16章17節には「兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい」とあります。神の家と教会で、神の民の間に分裂と攻撃を引き起こしていけないのです。あなたは反抗や不従順ではなく、ただ信仰と希望と愛と謙遜のうちに歩むのです。ハレルヤ!
告白
私が御言葉を学び、御言葉の働きに身をゆだねるとき、私の霊は神聖の真理に満たされます。私は御国の思いで私の心は高められます。私は、日々の歩みの中で、御言葉の特性を表し、私の人生における神の栄光をより多く現すようになります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(エペソ4:22-23)その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、
(ローマ12:2)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。