2022年10月13日(木)
イエスは主であり王である
Jesus Is Lord And King

「私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、」(第一テモテ6:14-15)

主イエスは王の王であり、主の主です。聖書には、イエスがお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言いました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました」(マタイ2:1―2)。イエスは王になったのではなく、王として生まれたのです。

ヨハネ18章には、ピラトがイエスに「お前は王か」と尋ねたとき、イエスご自身の証言が記されています。イエスは言われました。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです」(ヨハネ18:37)。主の答えは「あなたの言葉は正しい」という意味でした。イエスは同意されたのです。実際、39節でピラトはユダヤ人に向かって「… それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか」と言い、イエスの言葉をピラトが肯定したのです。

もしイエスが王であることを否定されていたら、ピラトはイエスをユダヤ人の王と呼ぶことはなかったでしょう。使徒2章30節で、ペテロは群衆に向かって言われました。「彼は預言者でしたから、神が彼(ダビデ)の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。」

ヨハネ12章13節で、イエスがエルサレムへの凱旋の際、人々は王をエルサレムに遣わした神を讃え、惜しみなく賞賛しました。彼らは叫びました。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」

もちろん、ユダヤ人の長老たちは気分を害し、イエスを賛美し、王として受け入れる人々を黙らせるように言いました(ルカ19:39)。イエスは答えられました。「彼らが黙っていれば、道ばたの石も歓声を上げるだろう」(ルカ119:40 NLT)。つまり、石までも同じく確証するという意味です。ハレルヤ!

主イエスはいと高き方の神、不滅の神であり、神聖の栄光という輝きの中におられています。主のような方はだれもいません。私たちは単なる宗教的指導者に仕えているのではなく、宇宙の王であり、主権者である方に仕えているのです。主は、天においても、地においても、地の下においても、すべての権威を持っているのです。主とともにあるあなたのアイデンティティに誇りを持ち、主について大胆に語りましょう。主の御名に永遠に栄光をお返しします!

祈り
愛する主イエスよ、主はすべての力と栄光、威厳を持つ、永遠なる不滅の王です!主は天の喜びであり、地の望みです。主はいと高き神であり、この方だけがすべての賛美と誉れと尊敬に値します。主は代々限りのない王であり、私は今日も永遠に主を賛美します。アーメン。

参照聖書
(第一テモテ6:13-16) 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。

(ヨハネ12:12-15)その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」