2022年7月6日(水)
祈りは 「怠け者の方法」ではない
Prayer Isn’t The “Lazy Man’s Way”

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)

あなたは、誰かが「祈りすぎ」の人について文句を言っているのを聞いたことがありますか。彼らは祈っている時間が長いと何もしていないと考え、よく祈っている人を「祈ることだけしかしない人」と嘲るのです。そうではありません。あなたが祈っていると、実際に「何かをしている」のです。

祈りにおける力と霊の領域を理解していない人たちは、祈りが怠け者の方法だと考えています。18世紀の偉大な牧師であるジョン・ウェスレーは、かつてこう述べています。「神は、私たちが信じて祈ったことへの応答以外に、何もなさいません」。彼がこの重要な発言をしたのは、自分や他の人々が祈ったときに、自分の人生や宣教、そして社会に変化が起こることに気づいたからです。

祈らなければ見えてこない結果がたくさんあります。祈ることは神が私たちと交わる方法であり、神は私たちに祈るようにと言われました。イエスもご自身で祈り、また、私たちに祈ることを教えられました。「… いつでも祈るべきであり、失望してはならない」(ルカ 18:1)。なぜ、イエスはそれほどまでに祈られたのでしょうか。それは、暗やみの世界に住んでおられたイエスは、人々の生活に変化をもたらす必要があったからです。イエスが非常に効果的であった理由の一つが祈りです。 

この世界では多くのことが起こっていますが、私たちは決して自分が無力だと考えてはいけません。私たちにはできることがあるのです。クリスチャンなら誰でも、実際に変化をもたらすことができるのです。「私にできるのはただ祈ることだけです」と負け惜しみで言う人のようにならないでください。いいえ、私たちはただ祈るだけではありません。私たちは祈ることで、はっきりとした変化をもたらすことができるのです。

神は、宗教の一つの形式として、ただ祈りなさいとはおっしゃいませんでした。神は状況が私たちの益になるように、祈りなさいということなのです。

イエスが言われたことを思い出してください。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」(使徒 1:8)。その力とは、変化を引き起こすダイナミックな能力であり、それは今、あなたの中にあるのです。ですから、次からあなたがある事柄を祈るとき、それがどんなに緊急なことであっても、祈ることで時間を無駄にしているとは一瞬たりとも思わないでください。むしろ、あなたは神の霊の力をその状況に発揮しているのです。

祈り
愛する父よ、祈りの特権によって、主の側に立ち、主の御心を地上で行い、状況、サタン、そしてその闇の群れに対して支配権を行使する機会を与えてくださっていることを感謝します。私は、主の完全な御心に従って祈り、あらゆる状況において御霊の力を発揮します。御霊の中で祈りの祝福に感謝します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第一コリント14:15)ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。

(第一ヨハネ5:14-15)何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

(第一テモテ2:1-2)そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。