Honouring God’s Ministers

“兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。”(第一テサロニケ人への手紙5章12節13節)

 神の御言葉の中に、私たちが見いだし、私たちの人生に適応しなければならない真理があります。そうしなければあなたは真理がもたらす祝福の中で生きることは出来ません。その真理の一つは、神が、あなたの上に立たせてあなたの霊的成長に責任がある人々に尊敬を払うことです。

 しかし、ある人たちは聖書の理解が足りない為、私たちが、神のしもべたちに尊敬を払うのに、神の知恵を持って、ある働きに対して、不快になって怒ることがあります。例えば、神に仕える人がある場所に入ってくると、人々が尊敬と尊重心を持って席から立つと、何人かは口走ります。「何故彼らは立ちあがるの。あの人がイエス様か?」もちろん、彼はイエスではないですが、イエスを代表しています。

 神のしもべにふさわしい尊敬を払うのは、まさにそのしもべが語る言葉や説教、そして祝福があなたに続けて留まる理由であることを悟ってください。イエスがマタイの福音書10章40節-41節でこう言われたのは当然です。「あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だと受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れるものは、義人の受ける報いを受けます。」ですから、あなたが神のしもべに尊敬を払うのは、人にではなく、主のためにそうしているのだと賢く理解しましょう。

 世の人たちも、投票で選んだ大統領が入ってくる時に、尊敬を払う態度で立ち上がるのであれば、神が送ってくださった人に向かってそれと同じ尊重を払うことに、何故文句を言うのでしょうか?それは自分も知らずに、主に腹立っていることです。国の大統領とは異なり、神の人は御言葉で、神の民を強めさせ、活気づけ、立たせるように命令を受けたので、より大きい尊敬を受ける資格があります。第一テモテ人への手紙5章17節には言われています。「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。」

 第一ヨハネの手紙5章1節は言われています。「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者も愛します。」イエスを愛しているのであれば、神が遣わした人たちも愛するはずです。神が御言葉を通してあなたを祝福し、養育する為に遣わした人たちを中傷したり、怒り出したり、あざ笑う群れと一緒にしないでください。

祈り
愛する御父よ、父が私を霊的に育てる為に、定められた人々を尊敬を払う事の本質を教えて下さり感謝します。私は、彼らの神聖な助言を尊重し従うので、父に対する私の愛と尊敬心を表します。ですから、父の祝福は私の上に留まります。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
ヘブル人への手紙 13章7節 
第一コリント人への手紙 15章33節