The Essence Of Worship

「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。」(使徒13:2)

今日の御言葉での強調された箇所は、注目に値する部分です。それに対して申命記10章8節では、レビ族について次のように述べています。「そのとき、主はレビ部族をえり分けて、主の契約の箱を運び、主の前に立って仕え、また御名によって祝福するようにされた。今日までそうなっている。」 今日では、私たちが神に仕える王と祭司です。(黙示録1:6)

主に仕えることは、礼拝の本質です。仕えるということは受動的ではなく意識的に行うことです。多くのクリスチャンは、当然に経験すべき神の力を、経験していないことについて疑問に思っています。その問題は、ほとんどの場合、礼拝の中で主に仕える方法を学んでいないことによります。ヘブル13章15節では、主に仕えることが何であり、そしてどのように主に奉仕するかが示されています。「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」

したがって、主に仕えるとき、あなたは主の御名を認め、賛美し敬意を表します。あなたは主の偉大さと愛、力、義、恵み、知恵、栄光と祝福を証するでしょう!主に仕えることは、礼拝で意識的にあなたの手を上げて主の存在をたたえて、あなたの霊から主の威厳を賛美し話すことも含まれます。

単に「主をほめたたえます。私は主を賛美し礼拝します!」と言うだけでは十分ではありません。あなたの礼拝には内容が必要です。むしろ、「主よ、御名をほめたたえます。素晴らしく、憐み深く、配慮にみち、愛であり、親切で、恵み深いからです。」というなら、ここに違いが現れます。あなたは内容を追加したからです。詩篇は、主の威厳を賛美し、偉大さを高く持ち上げた御霊の満ちたインスピレーション(霊感)の内容で満ちています。あなたは詩篇の中での御言葉を用いて、主に賛美し礼拝することができます。

祈り
恵み深き主なる神様、御父は栄光と誉れを受けるにふさわしい方であり、私の心の奥底から、御父の威厳をほめたたえます。父の御名を拝します。御父は慈愛深き、栄光に満ち、正しく、素晴らしく、親切で、慈しみお方です。御父の深い愛は計り知れません。大いなる御父は、賛美受けるのにふさわしい方です。私は今そしてとこしえまで、御父を愛します。アーメン。

参照聖書
黙示録19:1
黙示録7:11-12
ヘブル13:15AMP