Being A True Misinister Of The Gospel
「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(マタイ5:11-12)
あなたが御言葉を通して魂を救い、信仰を立たせて他の人に希望と愛を与える働きに優れたクリスチャンになることは、迫害を受けやすい標的になることでしょう。すべての人があなたを受け入れてはくれないでしょう。しかし、キリストもすべての人が受け入れてくれる訳でもありません。そのゆえに、主は、マタイ10:24-25で、こう言われております。「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家長の者のことは、何と呼ぶでしょう。」
したがって、他の人々に愛と親切の行いをしても、彼らが反感を持って、あなたを傷つけるためにひどいことをしても驚かないでください。そんなことに怒って、後悔しながら、「彼らのためにやった全ては、結局何だったのだろう。」などと、思ってはいけません。あなたは主の御名でやったことを憶えていてください。どうして気にする必要がありましょうか?
あなたは、もしくは自分に悪口をいう人を、神が罰してくれると考えるかもしれません。しかし、神はそのようにはなさいません。実際、神はその人を裁きたくないのです。聖書は述べます。「このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の御心ではありません。」(マタイ18:14) むしろ、神は、その人のためにとりなしてくれる人を探しているのです。神があなたに対してつらく当る人を罰してくれるように考える前に、その人のために祈りなさい。それこそ、真実の福音伝道者です。
あなたが神の働きに、より貢献すればするほど、主の栄光があなたの人生でより多く見られて、ある人はそれによって、あなたをもっと憎み迫害するでしょう。そのようなことが起こったら、怒りで返すのではなく、かえって愛をもって対応してください。Ⅱテモテ3:12では、このように言っています。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」
あなたが迫害されているなら、いつも自分の名前でなく、イエスの御名によって遣わされたことを覚えてください。主ご自身があなたを守り報いてくださいます。
祈り
愛する天の父よ、御言葉による慰めを感謝します。聖霊が私のうちなる人を強め、試練や試みや迫害にも関わらず、キリストの福音の優れた働き者とされました。キリストの愛が私の行いを強めて整えてくれます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
ヨハネ15:19 もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
マタイ10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」