Live For Him

「彼らは、あなたがたが今彼らとともに手を携えて同じ放蕩の窮みに走らないのを見て、驚き(異様に思い)、そして(あなたがたを)ののしっています。」(第一ペテロ4:4AMPC)

これまでの人生で、あなたは主の到来が近づいたと聞かされてきたはずです。これは間違いなく事実です。主の再臨はあなたが想像する以上に近いのです。あなたの役割は、準備をして、主の再臨を心待ちにすることです。

あなたは主の再臨を待ち望んでいる人たちの一人ですか?ルカ21:34-36で、イエスは言われています。「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

第一テサロニケ5:2-3には、「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が『平和だ。安全だ。』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」とあります。御言葉は、これらのことが終わりの時に向かって成就することを示しており、私たちは聖書が語るその時代にいます。私たちは、まさに目の前で、すべての預言のしるしを見ています。

さて、ヘブル2:3は、「私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう…」と警告しています。あなたの人生に必ず神と一致するようにしてください。あなたは、神の御言葉に従って生きていることを確認してください。主のために立ち上がることを恥じてはいけません。主はあなたの味方であり、あなたを救ってくださいました。人々があなたの悪口を言い、侮辱し、または迫害していても恥じないでください。主のために生きてください。

聖書には、間違った生き方をしている人たちの仲間入りをするよりも、正しいことをして迫害を受けることがより良いことだと書かれています。もし、あなたがイエスを信じて人々から追放されても、イエスはあなたを愛しています。彼らがあなたを見捨てても、主はあなたを見捨てることはなく、いつもあなたの中に、あなたと共におられます。ですから、主のために自分を聖別してください。それが、神があなたに望んでおられることです。

携挙自体には、しるしがないことを覚えておいてください。言い換えれば、携挙はいつでも起こりうることなのです。ですから、心をこめて、喜びをもって、主に仕えてください。そうすれば、主が来られた時に、主に仕えているあなたが光り輝き、御霊に燃えているのを見られるでしょう。

祈り
祝福された御父よ、世界に迫っている滅びから逃れる者の一人に数えられることは、なんと光栄なことでしょう!あなたの再臨を真剣に待ち望むとき、私は聖霊に燃え、心をこめて、喜びをもって、あなたに仕えます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1ペテロ 4:1-7(AMPC) このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。2 こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。3 あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行ない、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。

4:4 彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。5 彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。6 というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。