Put The Kingdom First

「しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」 (ピリピ2:19-21)

何年も前に今日の御言葉に出会ったとき、私はこの御言葉に注目しました。 パウロはピリピの教会について深く心配し、彼らに仕えることを望みました。しかし、パウロは牢にいたので、ピリピの教会を訪問することができませんでした。そのゆえ、パウロは彼らに「テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」といいました。なんと驚くべき啓示でしょうか!

今日の教会には、そのような事がたくさんあります。彼らは自分自身のことを求め、自分自身のために生きます。彼らは利己的です。しかし、聖書の第二コリント5:15でこう言っています。「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」

利己的な人々は、真理の中を歩くこともできず、正しく愛の中を歩くこともできません。利己主義は、神の言葉に反しています。あなたが自分のやりたいことに夢を持つとき、それがたとえ神のためにしたいことであっても、あなたの本当の動機は何であるかを自問することが重要です。あなたは、神の愛と自分自身への愛の間で葛藤し、イエスに仕えることとあなたの関心さを達成することで悩んでいる自分に気づくかもしれません。

それが、パウロが言及していたことです。パウロは、ピリピ教会に送るには、彼と一緒にいた数人のうち、テモテを選ぶことしかできませんでした。パウロは、テモテが純粋な心で自分自身のことを求めなく、愛をもって、その働きをしてくれると確信していました。パウロは、ピリピ教会のためだけではなく、今の私たちも学ぶように、このことを書いていました。

マタイ6:33で、イエスは同じような思いを伝えてこう言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」イエスは、求めるべき最初のものは、神の国であり、そのあとであなたが他のものを求めればよいとはおっしゃいませんでした。イエスは御国を意識しなさいと言われました。御国の拡大と神の義の確立を追求し、それを第一に考えてください。そうすれば、あなたは人生で、何かに苦労することはないでしょう。

あなたの人生をかけて、神を信頼してください。純粋な心で主に仕え、神があなたを栄光から栄光へと導いて下さるのを見てください。

祈り
愛する主よ、慰めと助言になる主の御言葉にありがとうございます。私は、主の栄光のために、私の人生をもってあなたに仕え、目的をもって毎日を生きています。何よりも御国の拡大を第一に考え、完璧な心と喜んでいる心で、そして愛をもってあなたに仕えます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(歴代誌下25:1-2)アマツヤは二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はエホアダンといい、エルサレムの出であった。2 彼は主の目にかなうことを行なったが、全き心をもってではなかった。

(マタイ6:31-33)そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。