Godliness: Piety Towards God

“肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。”(第Ⅰテモテ4:8)

上の本文箇所で敬虔(godliness)とは、神様に対する篤実(piety)という意味です。これは、献身されること(being devout)の質、霊性での献身(a devotion to spirituality)を言います。これは同じく内的いのちの外的表現です。新しく生まれた者としてあなたはすでに神様の義を内に持っていますが、それを外に表現しなくてはなりません。文脈上、敬虔はあなたが関った外に現す活動をいいます。人々はそれを見て、“敬虔な人だ”と言うことができます。本質的に敬虔とは内的な義や内的な聖さを指すのではありません。

これが重要な理由があります。文字的に敬虔という単語はギリシャ語“ユーセベイア(eusebeia)”であり、これは方向がよく設定された尊敬、神様に向かって正しく向かう建てられた献身を意味します。キリスト者として私たちは、神様に向かって良い方向に建てられた尊敬、または篤実さを持つようになっています。あなたを敬虔な人として特徴づける行動があります。例えば、教会に行くことです。教会に行く人がみな、本質的にキリスト者ではないとしても、全てのキリスト者は必ず定期的に教会に行き、区域の集まり(a local assembly)に献身しなくてはなりません。ヘブル書10:25は言います。“ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。”

あなたをキリスト者として特徴づける他の活動には、断食すること、祈りとみことばの勉強で主との時間を持つこと、主をあかしすることがあります。ひいては、敬虔な人としてあなたが行ってはならない場所があります。もしもそのような場所にいなくてはならない状況ならば、敬虔なる篤実さを持って行ってください。あなたがしてはならないこともあり、してはならない言葉もあります。敬虔な人としてあなたの性質の中にあってはならないものもあります。

神様はあなたが敬虔な態度で自分自身を扱うことを願われます。あなたの服の着方にも、どの敬虔さが必要です。神様の霊とともにでる品位があり、あなたの人生の全ての面でこの品位が反映されなくてはなりません。

祈り
愛する父よ、父のみことばと聖霊の導きを私の人生に与えてくださり感謝します。父のみことばを通し、私の性質は私の霊にある道徳的卓越さと父の義を反映するためにつくられました。今日私は多くの人々を義で鼓舞させます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ルカ4:16、第Ⅱペテロ1:5-7