2025年3月6日(木)
教会に対する神の究極的な目的
God’s Ultimate Plan For The Church

「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全なおとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

上記の聖句は、教会である私たちを、もはや教えのあらゆる風に吹き回される幼子ではなく、信仰に堅く立つ成熟した状態に導くという神の目的を明らかにしています。これが神の究極的なご計画であり、私たちをキリストの満ち満ちた身丈に導くことなのです。エペソ4章11節から14節にこうあるのはそのためです。「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全なおとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばあれたりすることがなく、」

エペソ4:13節に書いてあることに注目してください。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識(エピグノシス)の一致とに達し、完全なおとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」これは漠然とした抽象的な約束ではないのです。神が教会を導いておられる明確な現実です。キリストの身丈への成熟は地上では達成不可能だという考えとは反対に、聖書はそうではないと明確しているのです。

御言葉は、私たちは天に行くときではなく、この地上で成熟した状態になることができると宣言しています。そして、私たちにおける神の働きは、この意図と目的のためにあるのです。主は教会をそのような成熟した状態に導き、その後に携挙が行われるのです。これは、教会に霊的な幼子がいないという意味ではないし、キリストに心を捧げたばかりの人々が突然成熟して成長するという意味でもありません。そうではないのです!御霊がここで扱っているのは、キリストの体である教会のアイデンティティについてなのです!

私たちの理解、キリストにおける歩み、私たちの意識の総体は、成熟し、完全で、健全で、完成したものとなるのです。これが、キリストの体全体が「キリストの満ち満ちた身丈」に達するという、キリストの体全体に対する神のビジョンなのです。ハレルヤ!

告白
私はキリストに満たされて歩み、成熟して成長し、人生のあらゆる面でキリストのご性質を現します。私はこの栄光に満ちた現実を意識して生き、主の再臨が間近に迫っているので、教会がキリストの満ち満ちた身丈にまで共に向かっていることを宣言します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(コロサイ1:28)私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。

(2 コリント3:18 )私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

(ヘブル6:1)ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、

(エペソ 4:12-13)それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。