Beware Of Evil Communication

「思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。」(Ⅰコリント15:33)

神の言葉を通じて、わたしたちは、品性と行いが整えられます。しかし、中には、一部をかいつまんだり、ひねくれたコミュニケーションによって、あなたのよい特性を乱そうとする人がいます。神の御言葉を拒んだり、否定したり、抵抗するどんなコミュニケーションも悪意のある疎通です。したがって、悪意のあるコミュニケーションを避けましょう。

聖書には「知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。」(箴言13:20)と記述されています。詩篇1:1では、「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座に座らぬ人はさいわいである。」と言います。悪しき者とともにいると、あなたも間違った影響を受ける可能性があります。たとえば、聖書では、「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬いなさい。…」(レビ19:32)、「あなたの父と母を敬え。」(エペソ6:2)とあります。あなたの友達に、そんなことはしなくてもいい、という人はいませんか?それは、愚か者の道へとつながるでしょう。

聖書は、「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5:17)と言います。しかし、あなたの友達は、「いつも祈らなければいけないの?」と言います。聖書は、教会での集まりを無視しないように言いますが、友だちは、その反対を言います。愚か者の道に従わず、御言葉にしたがってください。

Ⅰコリント5:11では、「不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。」また、ピリピ3:2では、「どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。」といっています。もし、あなたが御言葉の冒頭に、「犬どもに警戒しなさい」といっているのを見たとき、それは、あなたのうちにいる犬どもについて警戒しているのです。外にいる犬ではありません。

それだけではなく、「悪の働き手」と言うとき、ギリシャ語での実際の意味は、「間違えを作る人」よく間違える人のことを言います。聖書はもし危険な人でなければ、そのようによく間違える人を警告したりはしません。したがって、誰か、たとえあなたが尊敬する人であっても、御言葉と一貫性がないことを言っている場合には、その言葉を受け入れるべきではありません。御言葉によってあなたのするすべてのことが導かれるようにしてください。そして、神に栄光をささげてください。

祈り
愛する父よ、私は、父がこの世を創られる前から私のために準備してくださった道を歩いています。私は聖霊に導かれ、知恵の中を歩み、義の思いで満たされています。私は御言葉によって今日もこれからも導かれていきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン

参照聖書
詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

マタイ5:29—30 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

詩篇26:4-5 私は、不信実な人とともにすわらず、偽善者とともに行きません。 5 私は、悪を行なう者の集まりを憎み、悪者とともにすわりません。