Repentance And Rebirth

“では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。”(ローマ10:8-9)

キリストに心をささげようとする罪人たちに、人々は“あなたのすべての罪を言い表して、神様に赦してくださいと祈ってください。そうするとあなたは救われるでしょう。”と言うことを聞いたことがあります。しかしそれは聖書的ではありません。ほとんどの人々が第一ヨハネ1:9を根拠としてこう言います。しかしその箇所は非キリスト者ではなく、キリスト者たちに言ったことです。“もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。”

キリスト者は神様の子どもです。彼らは神様のいのちと本性を持ちました。したがってキリスト者はいつも正しく行動しようという性質を持っています。キリスト者であるあなたが何か誤って行うたびに心に引っかかるのはそのゆえです。みことばが悔い改めて罪を言い表しなさいと言うことはそのような意味です。悔い改めるということは心を入れ替え、思考方式を変え、誤った道から引き返すことです。ただキリスト者だけがそうする力を持っています。

自然人(新しく生まれ変わらない人間)は、いくら道徳的で正しく立って“宗教的”だとしても、変わらず罪人です。したがって彼に必要なことは、悔い改めや人生の誤った道から“引き返す”ことではなく、新しく生まれ変わることです。彼に必要なものは完全に新しいいのちです。罪人とは、罪を犯した人を言うのではありません。罪は単純に一つの行為ではなく、本性だからです。この世に生まれたすべての人は罪の性質を持って生まれました。

しかしあなたが新しく生まれ変わるとき、罪の本性は神様のいのちと本性へと完全に代えられます。したがって、罪人のための真の主を受け入れる招きは許しを求めるのではなく、新しいいのちを求めることです。罪人に救いを受けるため、自身の罪を言い表しなさいと言うことは無意味です。そのような方式では決して救いを受けることはできません。彼が告白しなくてはならないことは、イエス様が主となられたことです。それが彼を救う告白です。“もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。”(ローマ10:9)そのような宣言は、彼を永遠の呪いから即時に分離させます。そうするとイエス様が彼の人生の主人となられ、その中で治められます。そうして、彼は今だけでなく永遠にキリストと共にする偉大な人生を確信することができるようになります。

祈り
愛する父よ、イエス・キリストを送ってくださり、私のために死なれ、私の霊に永遠のいのちを分け与えてくださった父の偉大な愛に感謝します。私は治める恵みと、父の栄光のために毎日勝利し生きるようにする知恵を受けました。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ヨハネ1:12-13、ローマ10:8-10(AMP)

1年聖書通読
使徒の働き 7:54-8:8
Ⅱ歴代誌 31-32章

2年聖書通読
Ⅱコリント 5:11-21
イザヤ 4章