5月14日(日)
恨みを抱かない
Don’t Harbour Resentment

「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」 (エペソ4:31)

御霊は、第一コリント14章20節で、パウロを通して言われています。「悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」幼子は悪意を持ちません。幼子は恨みを抱くこともなく、純粋で、すなおな心を持っているのです。神は私たちにそのような生き方を望んでおられるのです。

コロサイ3章8節には、今日の御言葉で述べたのと同じ戒めが繰り返されています。「しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。」ここで言及されている言葉は、お互いに関連があるので一緒に書かれているのです。

恨みは、あなたが否定的な行動や恥ずかしいことを言うように促します。したがって、恨みを避けてください。今日、多くのベンチャー企業が恨みから始まっています。ある会社のやり方に腹を立てた人が、自分の会社を立ち上げるのです。教会でさえも、そのように始められたところがあります。

怒り、恨み、苦みを原動力とするベンチャー、企業、または行動には、神の承認は得られないのです。

主イエスは、マタイ23章27節で、このことを言及されています。「 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように」。

恨み、辛み、怒り、憎しみ、嫉妬を抱くことは、やがて人に悪影響を及ぼし、これらの負の力が人を不健全な行為へと導きます。私たちは、愛のうちに歩むよう求められていることを忘れないでください。
 
愛のうちに歩むとき、あなたは人生の主人であり、支配しているのです。聖書には、愛は自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わないと述べています。(第一コリント13:5)

告白
私は、恨み、憎しみ、嫉妬、ねたみ、苦味、怒り、争い、苛立ち、悪意、卑しさなどが私の中に根付くことを拒否します。私の心は神の愛と優しさと思いやりに満ちています。そして、私は、父の喜びのために、どこでも、誰にでも、これらを惜しみなく表現します。アーメン。

参照聖書
(箴言14:30)穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。

(第一コリント13:3)また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

(へブル12:15)そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、

(エペソ4:31)無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。