2025年4月15日(火)
御霊によって奥義を話す
Speaking Mysteries In The Spirit
「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。」(1コリント14:2)
あなたが異言を話すとき、あなたは奥義を話すということをご存知でしょうか?これらの奥義は、あなたの健康、仕事、家族、あるいは将来の決断に関するものかもしれません。しかし、これらの奥義は人間の頭では理解できません。だからこそ、異言の解き明かしの賜物が必要なのです。解き明かしの賜物があれば、これらの奥義を理解し、自分が何を言っているのかを正確に知ることができます。
残念なことに、多くのクリスチャンは異言を語ることの力や本質を十分に理解しておらず、その結果、これらの奥義を解釈する必要がないと考えています。例えば、あなたの健康について知りたければ、異言で話すことができるのです。そのとき、あなたは奥義を語っているのであり、その異言を解き明かせば、聖霊があなたに啓示していることを理解することができるのです。
私たちは人生において、何も分からないことがあってはなりません。私たちは奥義を語り、聖霊はそれを解き明かすのを助けてくださるのです。1コリント2章6節から11節にはこう書かれています。「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。…私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のため、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。… いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」
なぜこれが重要なのでしょうか?それは、解き明かしを伴って異言を語るとき、それは預言に等しいからです。つまり、私たちは、奥義の内にある神の知恵を、預言的啓示によってもたらすか、あるいは、私たちが解き明かすことのできる異言によってもたらすかのどちらかなのです。それは学校のことなのか、間近に迫った旅行のことなのか、それとも子供たちのことなのか?経済的なこと、仕事や商売のこと、あるいは新しい家に引っ越そうとしていて、神の御心を知りたいと思っていませんでしょうか?異言で祈れば、奥義が語られるでしょう。異言を語ることによって、人生のさまざまな側面に関する神の御心を知ることができるのです。
祈り
愛する父よ、私の人生に対する神の神聖の御心を理解できるように、聖霊とともに、異言を話し、奥義を話す祝福を感謝します。私はあらゆる状況と境遇に対して超自然的な知恵を受け取ります。私は御霊の力が私のうちに働き、健康と力と繁栄をもたらすことを宣言します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1コリント14:13-15)こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
(1 コリント 2:6-11)しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
(ローマ 8:26-27)御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。