2022年5月10日(火)
強い願望の力
Power Of A Strong Desire

「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。――主の御告げ―…」(エレミヤ29:13-14)

神を知り、神と共に歩み、神の御心を従えようとする私たちの強い願いを、神は決して無視されることはありません。そのような強い願いは、抑えがたい祈りへの熱望を生み出します。ある人が「祈りの霊」に支配されているというのは、このような意味です。それは、聖霊があなたの心に圧倒的な祈りの雰囲気と影響をもたらしたことを意味します。

そうなると、祈ることはあなたの行動や思考の全てになっていきます。その影響は長期間にわたって続くかもしれません。しかし、これは神が望まれた時に起こることではなく、むしろ、あなたがそれを望んで招いたことなのです。聖書は、主は渇いた魂を満たしてくださると言っています(詩篇107:9)。

あなたが祈りの交わりを始めると、まもなくそのとりなしの霊があなたに臨み、あなたは常に祈っていることに気づくでしょう。聖霊は、主の動機、ビジョン、計画、目的、つまり主が気にかけていることや行われたいと思われていることに引き寄せてくださるでしょう。主は、祈りの中であなたを通してご自身を表現しておられるのです。

すべてのクリスチャンは、人生の中で、主や御言葉、そしてあなたの人生における主の影響を強く望むべきなのです。それがあれば、簡単にあなたの周りの人に影響を与えることができます。ですから、願望を育ててください。ダビデのように、強い願望を持ち、主に対する熱意、愛、情熱を常に維持するようにあなたの心をかき立ててください。ダビデは、主への強い願望によって「 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです」(詩編63:1)と言いました。

告白
愛する父よ、主は私の栄光であり、私の喜びであり、私のすべてです。鹿が谷川の流れを慕いあえぐよりも、さらに私の魂は主を待ち望んでいます。私の人生に主の栄光があることを感謝します。私の願いは、主をもっと知り、主の御心を行い、私への主の完全な御心を実現することです、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ルカ18:1-8)いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

(エレミヤ29:13-14 AMPC)もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。――主の御告げ。――わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。――主の御告げ。――わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」