2月17日(木)
啓示による知識との関わり
Relating With The Known

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり」 (ピリピ3:10)

下線部の「知る」という言葉は、ギリシャ語の「ギノスコginōskō」に由来しています。ここで、使徒パウロは、神を知ることを私たちが「イエスを発見する」というように、新しいものを発見したようだと言っています。そのような知識は、啓示によってのみ得られるものです。

聖書を学ぶと、神はあなたに特別な内容などを明らかにしてくださいます。そして、祈っているとき、あなたの霊に神の知識がさらに与えられます。これらはすべて啓示によって行われるのです。しかし、ピリピ3:8でパウロは、別の種類の知識を示しています。「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。…」 

ここでパウロは、ギリシャ語「グノーシス(gnōsis)」について話しています。つまりパウロは科学的な知識であるという「発見した事実(a finding out)」のことを言っているのです。しかし、ピリピ1章9節では、さらに別の種類の知識を明らかにしています。「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり」、ここで言及されている「知識」という言葉は、ギリシャ語で「エピグノシス(epignōsis)」です。

エピグノシスとは、啓示された知識のことです。それは、神について正確で、完全で、精密な知識の結果、豊かな人生がもたらされるのです。このような知識は、交わりによって得た知識です。単に啓示を受けたとか、勉強して発見した知識ではありません。この時、あなたは啓示されたものと交わり、実質的な知識を扱っているのです。

この知識がないと、物事が推測にしか見えず、あなたの祈りさえも試行錯誤を経験しているようです。しかし、祈りに答えてくださる方を知り、その方と交わることができれば、状況は一変します。あなたは確信を持って、祈ることが楽しくなります。それは祈る相手であるお方を知っているあなたの知識によって異なります。

あることを行ない、それに対して結果が出ることを願うクリスチャンと、御言葉と神との関係に基づく信仰を持ったクリスチャンの間には違いがあります。あなたがこの交わりの中で機能すると、あなたは祈るとき、ただ一つのことだけ集中するでしょう。つまり、父の御心に沿って祈り、父の御心をこの地で実行しているのです。

御言葉を知らない人は、簡単に状況に圧倒され、人生の危機に打ち負かされます。あなたは御言葉にもっと注意を払い、神の「エピグノシス」の中で成長しなければならないのです。

祈り
愛する父よ、私に命の奥義と超自然的なものを理解する神聖な洞察力を絶えずくださった、主の御言葉の祝福に感謝いたします。私は御言葉を熱心に求め、知識に身をゆだねます。私は神についての正確で、完全で、精密な知識を持っており、その結果、豊かな人生を送ることができます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第一ヨハネ5:14-15)何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

(箴言11:19)神を敬わない者はその口によって隣人を滅ぼそうとするが、正しい者は知識によって彼らを救おうとする。

(コロサイ1:9-10 AMPC)こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。