11月20日(日)
和解の務めを果たす者たち
We’re Ministers Of Reconciliation

「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」 (第二コリント5:18)

新約聖書では「仕える者(minister)」という言葉が多用されていることがわかります。しかし、ここで重要なのは、この言葉が三つのギリシャ語に翻訳されていることです。第一は「ドウロス (doulos)」であり、しもべや奴隷などを意味します。パウロは自分のことを「ドウロス」(僕)、つまりイエス・キリストの奴隷やしもべと呼ぶことがありました(ローマ1:1)。

「仕える者」という第二のギリシャ語は「ヒュペレテス(hupēretēs)」といい、使徒パウロがダマスコに向かう途中で回心した話の中で見られている、務めの職分を意味します。パウロの回心でイエスは彼にこう言われました。「…わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。」(使徒26:16)

イエスはパウロに現れ、彼を務めに召されたのです。また、第一コリント4章1節にも同じ言葉があります。「こういうわけで、私たちを、キリストの奉仕者(hupēretēs)、また神の奥義の管理者だと考えなさい」。

しかし「仕える者」という言葉の第三の意味は、すべてのクリスチャンが召されている位置です。これは「ディアコニア(diakonia)」で、ウエイターのように仕える人のことを指します。実は、この言葉は執事の務めを表しているのです。使徒6章4節でこの言葉は、御言葉の務めを説明するために使われています。「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの務めに励むことにします」。

私たちは皆、キリストと、キリストのメッセージに対する僕への責任があり、お互いに仕える責任があります。あなたは、キリストの証人となり、他の人々に福音を伝える責任があります。

今日の御言葉に、神は「和解の務めを私たちに与えてくださいました」とあります。神はあなたを有能な和解の務めとなる資格を与えられました(第二コリント3:6)。ですから、主のために情熱的に生きてください! あなたの口を開いて、どこにいても大胆に主の救いの言葉を宣言してください。主はあなたを頼りにしております。

祈り
父なる神よ、福音は罪人を救い、暗やみから義の栄光に満ちた人生に導かれる唯一のメッセージであることを宣言します! 私を忠実で、和解の務めにふさわしいと認めてくださったことに感謝します。私は福音に情熱を持っており、私の世界のすべての人に福音を大胆に説き、罪人を暗やみの領域から主の光の御国へと移されます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(第二テモテ4:1-2) 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

(第一コリント9:16)というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。

(第二コリント3:6)神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。