Accept Rebuke And Correction

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(2テモテ3:16)

間違った行動をしても怒られない家で育った一部の人々がいます。 親でさえも叱っていません。人々は自分の心をキリストに捧げた後にも、神の家で矯正を受けることを困難に思う理由が、まさにこのためです。しかし、それはクリスチャンにとってはふさわしくありません。今日の御言葉をもう一度読んでください。神の言葉は、私たちに教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益だと言っています。

神の家で過ちを正されることを学ばなければなりません。それが、聖霊と御言葉を通して、敬虔な性質を育成するのを助ける方法の一つだからです。ですから、謙遜になり、あなたの指導者たちが御言葉であなたを教えることに注意を払ってください。キリストへ来る前の人々は自然の生活で学んだことが多くあります。それらは、キリストの性質と一致しないもので、人々が救われたからといって、一瞬に消えるものではありません。それが、神の言葉の黙想を通して心を新たにする理由です。エペソ4:31は、「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」と言っています。この箇所は、クリスチャンに向かって書かれた言葉です。

御言葉があなたの性質と新しい考え方を形成するように、御言葉に自分を委ねるのが重要です。感覚があなたを支配し制御することを拒否してください。誰かあなたを神の言葉で正されるとき、プライドで高ぶらないでください。叱責と矯正を受け入れることが謙遜です。そうすることで、あなたの優越性が表れます。本当に偉大な人はとても謙遜であるからです。

祈り
尊い御父よ、教え、戒め、矯正、義の訓練とのために有益であり、私の人生に完璧さをもたらす御父の言葉に感謝致します。卓越した謙虚さで私を形づくってくださる父の言葉の主権に、永遠に私を委ねます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
詩編119:9
ローマ15:4