信仰は語ります
Faith Talks

「『私は信じた。それゆえに語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」(第二コリント4:13)

ヘブル11章では、信仰の祖先である人々について、何と美しく感動的な描写がされているでしょうか。聖書は、これらの人々が信仰によって彼らの世界や時代を支配し、作り上げたと述べています。 例えば、アベルが神にささげたものは、信仰の行為でした。「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています」(へブル11:4)

アベルは、ただ口をつぐんで儀式を行ったのではありませんでした!アベルは何かを語り、死んでもなお、今も彼の流した血が何かを語っています。彼の告白はいったい何だったのでしょうか?それは、他の信仰の祖先達が告白した内容と一致していたことは間違いありません。聖書によると、彼らが地上では旅人であったことを告白していました。「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(へブル11:13)

重要なのは、彼らが信仰の言葉を語ったということです。このことは、彼らがどのようにして彼らの時代を造り、築いたかを知る手助けとなります。彼らは未来を語り、何が起こるかを語り、そして彼らが語ったすべてを信仰によって行ったのです。今日、私たちにも同じような信仰の霊が働いています。私たちは信じているからこそ、話すことができるのです。

信仰は、「信じる」の名詞であり、「信じる」は動詞です。あなたの信仰は、行動に移すための言葉で働き示されます。あなたは信じているのに黙っていることはできません。否定的な領域、つまりサタンの領域でも、同じ原理を使います。なぜなら、これは霊的な原理だからです。彼らは、言わなければ実現しないことを知っているのです。

これは、マルコ11章23節で、イエスが言われたことではないでしょうか?主はあなたが言ったことが実現するのだと言われました。「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」。信仰に満ちた言葉を宣言し、あなたの世界を支配しましょう。

告白
御言葉は私の中で生きており、活性化されております。キリストの中で勝利した人生を送るために、御言葉は私の中にある信仰を呼び起こします。私は信じたゆえに語ります。私は、私の人生における力、勝利、成功、健康、繁栄を語ります。イエスの御名によってお祈りします。 アーメン。

参照聖書
(箴言18:21) 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

(マタイ12:35-37) 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」

(第一ペテロ3:10 AMPC)いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、