Don’t Judge Others

“さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。”(ルカ 6:37)

キリスト者としてあなたの再創造された霊の特徴のうちの一つは、まさに愛です。そして、愛は他の人を罪に定めたり批判したりしません。あなたが誰かについて話す時、聞く人がその人のことを好きにならないような話をしないでください。それは間違ったことです。あなたが誰かをさばくとき、神様はあなたを無視されます。あなたはこう聞きたくなるでしょう。“あなたがどうしてそれを分かりますか?

ある日、イエス様が座に座れるとユダヤ人たちと人々が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来ました。彼らはイエス様に言いました。“「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。”(ヨハネ8:4-6)

律法学者とパリサイ人たちは、モーセの律法に従ってその女を石打ちにしようとするため、イエス様に問い続けました。聖書は、イエス様が彼らを無視し指で地面に書いておられたと言います。(ヨハネ8:6) さばく人々に対して、神様は同じようにされるからです。イエス様は“父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。”と言われました。(ヨハネ5:19) だからイエス様が彼らを無視されるとき、イエス様は人のさばく行為に対する父の御姿を表現されたのです。

ついに、イエス様は身を起こして、女を告訴する者たちに言われました。“あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。”(ヨハネ8:7) 彼らはそれを聞くと、年長者からはじめ一人ずつ石を置いて出て行きました。イエス様と女だけが残ると、イエス様が女に言われました。“あなたを罪に定める者はなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」”(ヨハネ8:10-11) そして彼女は群衆から救い出されました。

私たちはイエス様のように行動しなくてはなりません。主は言われました。“あなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。”イエス様は彼女の罪を知っておられました。これは人々が誤った行動をする時、私たちもそれを知ることができますが、イエス様のように彼らをさばいて、罪に定めてはならないということを意味します。

他の人々に対して良い絵を描いてください。彼らを悪く描かないでください。あなたの役割は愛を伝えることです。

祈り
愛する父よ、父の御子イエス様を人間の姿で送られ、私たちにどう生きなくてはならないのかを見せてくださり感謝します。主がそうであられるように私もこの世でそうであるから、私は愛とあわれみで満ち満ちて、すべての者たちに何をどのように言うべきか知っています。私の言葉は祝福して立たせます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句:
エペソ5:2, ローマ14:4

1 年聖書通読:
コロサイ2:6-23
イザヤ 48-49章

2 年聖書通読:
へブル3: 1-11
エゼキエル 1-2章