12月24日(土)
主の慈愛が悔い改めに導く
His Goodness Leads To Repentance

「…神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(ローマ2:3-4)

ローマ2章3-4節は、神の慈愛について、私たちに非常に強力なことを強調しています。神の慈愛は悔い改める機会を与えてくださるのです。

旧約聖書では、イスラエルの民は裁きの脅しを受けても、悔い改めたり、神に従ったりすることはありませんでした。しかし新約聖書では、私たちが神に従順な子どもであるために(第一ペテロ1:14)、神は私たちを裁きで脅かされることはありませんでした。私たちは神の真理の御言葉に心から「服従した」と表現されています(ローマ6:17)。こうして、主は私たちを主の慈しみと愛の中に引き入れられました。主は私たちに、裁きの代わりに憐れみを示されているのです。

神は、私たちが神の愛と憐れみについて世界に伝えるなら、不信仰の人たちが悔い改めて神に立ち返ることを知っておられるのです。第二コリント5章18節には述べています。「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」これが違いです。神は私たちが罪を犯したことを知っておられますが、キリストの中では、私たちの罪に問われないのです。

ヨエルはゼパニヤと同じに、彼の預言(ヨエル2:1-13)で、民の罪は彼らによって数えられ、そのために彼らが裁かれたと言いました(ゼパニヤ1:14-15)。しかし、私たちの時代では違います。罪の問題は、私たちの代わりにイエスのいけにえによって、解決されたのです。

イエスのいけにえの結果、神は世界をご自身と和解させました。神は人類をご自身との平和の中に引き入れられました。今、神は、神の慈しみと愛のメッセージを世界に伝え、人々を神と和解させるために、私たちを遣わされました。

ですから、今年のクリスマスには、まだ主を知らない人々を考えてください。あなたはショッピングモールでそのような人たちに会うでしょう。彼らはあなたが参加しようと計画している家族の行事にも現れるでしょう。あなたが子供を連れて遊びに行く公園にもいることでしょう。教会からの帰り道で見かけることもあるでしょう。神は彼らの罪のために罰しているのではないことを、彼らに教えてあげてください。神はすでに彼らの代わりに、イエス・キリストに罰を与え、彼らが信じさえすれば、永遠の命と義が彼らの霊に永遠に与えられるのです。ハレルヤ!

祈り
主よ、今日、主の子供たちが世界中で福音を伝えるとき、義が国々に注がれ、多くの魂が王国へとなだれ込むように祈ります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ローマ1:16-17)私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

(ローマ5:6-10)私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

(ローマ10:13-15)「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」