2月18日(土)
主の御名への私たちの確信
Our Confidence In His Name

「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:10-11)

なぜ私たちが祈るときにイエスの名を使うのか、不思議に思う人たちがいます。彼らは聖書を理解しておらず、イエスの名にある力を理解していないからです。イエスの名はこの世で最も偉大な名前であり、天と地と地の下にあるすべてのものはイエスの名に従っています。何一つなく、誰一人もイエスの名の支配と権威から免れるものはありません。

さらに、私たちが主の御名を使うのは、主が私たちに求められたからです。ヨハネ14章13―14節で、イエスはこう言われています。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」これは驚くべきことです。イエスが私たちにイエスの名を使う委任状を与えてくださったと教えられています。これは法的権利なのです。

また、ヨハネ16章23-24節で、イエスの言葉を読むことができます。「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」ここでイエスは、私たちがイエスの御名によって祈ることができると言っています。イエスは、私たちにイエスの名を使う法的権威を与えてくださっているのです。

今日の御言葉には、イエスの名によって「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもの」のすべてのひざが屈するようにという神の主権的な命令と霊的の領域による規則が書かれています。

「もの」と訳されたギリシャ語には、「何でも」という意味もあります。これは、人間、獣、鳥、どんな要素でも、すべてイエスの名に従うという意味です。この中には、地の底にあるもの、つまり地獄も含まれます。

神が私たちに死者をよみがえらせることもできると、教えられるのも無理はありません。たとえ誰かが地獄に行ったとしても、イエス・キリストの御名は、天においても、地においても、また地の下においても力を持っているので、私たちはその人を呼び戻すことができるのです。なぜ、いつもイエスの名を使い、イエスの名に確信を持たなければならない理由がわかりますか。

主の御名によって毎日を歩むなら、あなたの人生は素晴らしく、栄光に満ちたものとなり、あなたは常に勝利することができるのです。ですから、聖書にあるように行うのです。「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい」(コロサイ3:17)。

祈り
愛する父よ、イエスの御名にある力、大胆さと確信、そしてその権威に感謝します。私はイエスの御名を用いて悪魔、病気、痛み、人生の危機に立ち向かいます。私はその御名の力と権威に支えられ、主が私のためにあらかじめ用意してくださった、より高い栄光の人生を生きます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ16:23-24)その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

(マルコ16:17-18)信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

(マタイ28:18-19)イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、