6月24日(土)
世を愛してはなりません
Love Not The World
「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」(第一ヨハネ2:15)
これは、8歳の幼い感受性豊かな私の心に、最初に印象に残った聖書の一節です。これは神の宣言であり、決定的なものです。聖書は世を愛するなら、御父の愛はあなたの中にない、と書かれています。神を愛していると何千回告白しても、世や世のものを愛しているならば、父の愛はあなたの中にはないのです。
「聖書には『神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された』とあるのに、なぜ神は私たちに世を愛してはいけないとおっしゃるのでしょうか?」と質問する人がいます。なぜ、私たちは御父のように世を愛してはいけないのでしょうか?
神は世の人々を愛されたのです。神は人を愛し、人々の罪から救うために御子イエスを遣わされたのです。神は、世のシステムやそこにある物事を愛されたのではないのです。1ヨハネ2章16節には、「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とあります。聖書は、世と肉の欲に対して、私たちを戒めているのです。
この世の霊に影響されたり、流されたりすることを拒否してください。聖書は、「…世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」(ヤコブ4:4)と言っています。
神の聖徒として、私たちはある人のように好きなスポーツチームについて何時間も議論し、ほとんどもみ合いするような非霊的な議論に時間を費やすべきではありません。彼らは映画やテレビを何時間も見ているのに、祈ったり御言葉を学んだりする時間になると、眠ってしまうのです。
それらのことがあなたの人生を率いることを拒否してください。あなたの目的から遠ざかっているものに流されたり、吸い込まれたりしないでください。あなたは神の目的のためにこの世にいるのです。ですから、違う考えをしましょう。神が、キリストにあって、あなたを召してくださったすぐれた目的を意識しましょう。
祈り
愛する父よ、世は私について十字架につけられ、私は世に対して十字架につけられたのです! 私はキリストのために生き、世の霊に振り回されることを拒否します。私は、肉の欲、目の欲、世的な風に吹き回されることを拒否します。私は上から来た者であり、私の心は上のものに留まっています。私は、キリストの大使であり、人の心のうちに天と義を確立するために召されたのです、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖句
(ガラテヤ6:14AMPC)「しかし私には、私たちの主イエス・キリスト[メシヤ]の十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」
(第一テモテ4:10)私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。
(ヤコブ4:4)貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。